(ハラ)(オト)すと()げて()る 



(のぞみ)くん」
「ん?」


 (さく)は床に座り込み、ソファで優雅に足を組んで本のページを捲っている望の足に持たれて、首だけを緩やかに反らせて兄の名を呼んだ。
 それに応えた望は、声だけは返したものの、本に視線を落としたままでそれ以上は応えない。
それが、先を促しているときの態度であることを知っている朔は、一つ呼吸を挟んでから応えた。


「私が妊娠したら、望くんはどうする?」
「どうもしないよ。妊娠したのは、僕じゃないからね。」


 ぼんやりと望を眺めながら呟いた朔に、望は微塵も動揺した様子を見せずに、やはり本に視線を落としたままで応えた。
 嘘か、本当か。
そういったことにすら、無反応な望の声に、朔は朔で失望したような様子を見せるわけでもなく、ただ腹部に手を当てて眼を閉じる。
「そうだね」と。
やはり望と同じように気の無い声でそれっきり。
 朔は望の足にもたれたまま。
望はソファに座って本に視線を落としたまま。
 沈黙が苦にならない関係は、楽だと思う。
やがて、きりの良いところまで進んだのか、それとも気が済んだのか、ぱたりと重そうな本を静かに閉じた望は、それを無造作に隣に放り出すと自分の足にもたれていた朔の顔に触れて問いかけた。


「朔。お前、妊娠したのか?」


 その声は、焦りや期待などの感情とは無縁の響きを含むもので。
望の言葉に、朔は見向きもしないまま、応える。


「身に覚えは?望くん。」
「ありすぎてどれがビンゴしたのか分らないな。」


 少し面白がるような声に、少し面白がるような声が応える。
望は、妹の顔を両手で包むようにして触れると、逆さまのまま一つ、その唇にキスを落とす。
 朔は眼を閉じてささやかにそれをかわすと、一つ、キスの前より熱を孕んだ呼吸を吐き出して、ようやく少し笑った。


「まだ、ビンゴはしてないの。今はリーチ、かな?」
「何日?」
「3日くらい。」


 主語の無い望の言葉を、朔は正確に理解して返す。
指を小さく3つ折って応えれば、望もまた笑って応えた。


「朔の生理は病的なまでに正確だから、3日はビンゴだと思うよ?」


 その、面白がっているような口調を、朔は非難などしなかった。
望は、淡々としているが、別に非情な訳ではない。
 無責任では、あるかもしれないけれど。


「病院に行くかい?」


 唇や、頬や、目蓋や、額に。
次々と唇を押し当てて、望は朔に囁く。
 朔はそれに対して何を言うでもなく、ただ顔の表面に薄い微笑を貼り付けた。


「ううん、いい。十月十日経てば、出てくるし。」


 その、胎の中の存在に。
望ほど興味が無いのだと言えばそれまでなのかも知れないけれど。
朔は顔を望に触れたまま、自身の手は腹部を愛しむように撫でていた。


「何?朔は、生む気なの?」


 朔の、まだ未熟な身体を、望は軽く持ち上げて、床から自分の膝の上に乗せる。
未発達なラインを残す身体の内面に、完成された女性と同じ現象が起きているとは、あまり思えなかった。
 望に抱きこまれた朔は、無責任で無関心で、だけど優しい存在に身を任せながら問い返す。


「望くんは、いらない?」


 その短い言葉の中に含まれた感情は、期待も怯えも無いように思えた。
少なくとも、望にはそう感じ取れた。
 もう少し、どちらかでも読み取れたら、彼はきっと朔が欲しがる言葉と、正反対のものを返していただろう。


「俺は、別にどっちでもいい。」
「私も、別にどっちでもいい。」


 親に、なるかもしれない人間の言葉じゃないよね、と。
朔は小さく笑った。
 別に、空元気でも虚勢でもない笑みは、多分掛け値なしの朔と望の本音なのだろう。
 抱き込んだ朔の、甘い首もとに、望は顔を寄せて舌を這わせる。
ゆるゆると、体勢はいつの間にか縦から横になっていた。
 先ほどまで読んでいたはずの本は、重い音を立ててソファから落ちていた。
伸ばされた手を取った朔は、くらりと目眩を覚える。


「朔、知ってる?」
「知らないわ。」


 反射的に返された言葉に口元を撓らせながら、しかしその言葉が殆ど意味を含まないものであると知っている望は、構わずに続ける。
 朔の身体を腕の中に閉じ込めて、ゆるゆると服の中に手を忍ばせ、そしてまだ僅かの膨らみも無い肉付きの薄い胎を撫であげた。


「兄妹同士のセックスが禁忌だといわれるのはね、子供が出来たときに遺伝的疾患による障害が出やすいからなんだ。そうして弱い命は淘汰されて、人間は進化し、環境に適応していくんだよ。」
「――なら、妊娠しなければ、問題は無かったってこと?望くんと朔の子は、死なないといけないの?」


 それが、残念であるとか、哀しいとか。
朔の言葉の中には、そういう感情は読み取れなかった。
 兄と、妹という、絶対的な倫理の壁に阻まれた関係を、楽観的に考えたことなど、無論無かったのだろう。
 虚ろな声が、望に問いかける。
だけど、絶対的なその壁すら、最初からすり抜けてしまっていた望は、また一つ朔の唇に触れる。
 朔は、後悔しているのだろうか。
妊娠したことを、どう捉えているのだろうか。
 今まで、どちらかといえば望が朔を翻弄してきた。
それは、ただ純粋に力で勝ったからともいえるだろうし、望のほうがそれを望んだからでもあった。
 朔は、何時だって笑って流れに身を任すのだ。
だから、そこにどんな感情が流れているのか、望は知らない。
 けど、朔が苦痛に眉を潜める姿が、愛しいと思ったのだ。
だから。
だけど。


「――遺伝的疾患によって、弱い命が淘汰されて進化していくなら、私と望くんの子供だって、自然の摂理のうちだよ。」


 朔は、流れに身を任すように望の愛撫に浮かされながら望の鼓膜に囁く。
そして初めて望の顔に触れて、自分から顔を寄せた。


「弱ければ、死んで逝くんだから。生きてちゃいけない命なら、生まれてこないから。」


 それは、酷く淡々とした言葉だった。
朔の、腹の中に宿った命が、生まれてはいけない命だというのなら、朔の胎の中で死んで逝くのだろう。
そして人間は、不要なものや毒になるものは、体が排出するように出来ているのだ。
 だから、朔は病院など不必要だと言う。
『どちらでもいい』なら、よけいに、だ。
 子供が「生まれて来たい」というのなら、いずれ母体を食らって生まれ出てくるだろう。
そして「死んで逝く」というのなら、白い塊は胎の中から堕ちて来るだろう。


「私たちは、ただ、待っていればいいの。」


 その言葉は、誰に向けたものなのか。
朔自身か、あるいは望に向けられたのか。
 しかし、「どちらでもいい」のだ。
だから、望は自分の顔に触れる手を取って、その手の平をぺろりと舐めあげた。


「そっか。なら、俺たちは『いつも通り』でいればいいのかな?」


 望の眼には、少しだけ朔に対する驚きが滲んでいる。
まだまだ、手元においておきたいと、思ったのかもしれない。
 他の奴のものにはしたくないし、まだ少し、自分が朔のものでいたいと思ったのかもしれない。


「望?」


 その、僅かな心の流動を、敏感に感じ取ったらしい朔が、その名前を呼んでみる。
その声を飲み込むように望が、また。


「朔。」
「望くん」
「朔、愛してるよ。」
「私も、望くんが一番好きだよ。」


 囁いて、応えて、もう一度囁いた声に、同じ意味の言葉を返して。
朔は熱に染められた吐息をひとつ吐き出してから、目蓋を閉じて呟いた。


「朔は望くんが好きだから、望くんが傍にいてくれるなら、代わりはいらないんだよ。」



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2009/12/22


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