(クル)(コト)(タワム)れる(ウタ) 



「『もしも』の話をしてやろうか」と、両腕に絶望を抱えた水城に、魅は囁いた。
 両親の殺害について、無道咲夜と、無道夜散と、無道朝咲の証言は悉く食い違っていた。
その中の一つが、真実であるかも知れない。
しかし、そのどれもが嘘であるかも知れない。
 子供たちを救おうと、それだけの衝動で動いている水城に、子供たちは報いてくれないのだ。
 世界中の人間が『嘘』をつくというのに、この兄弟妹にだけ『嘘をつくな』と言っても無意味なのだから。
 無道魅はその後も、度々水城のもとを訪れては彼を苦しめて帰っていく。
水城はもうそれを口にしなかったが、そこに何の理由があるのかと問えば、彼女は常にそこに理由など無いと応えただろう。
 彼女は自分が楽しければそれでいいのだ。
この閉鎖病棟に訪れた理由だって、おそらく関係者として子供たちを心配したからではないのだろう。
 未だに無道魅がどのような関係者なのか、水城は知らなかった。
彼に唯一わかっていたのは、無道兄弟妹が身に着けているピアスが、魅が彼らに与えたものだということくらいで。
 身動きが取れなくなった水城に、魅は弄りすぎて動作不良を起こした玩具を労わるような優しさで諭す。


「別にお前が苦悩する必要なんて最初から無いだろう。『事実』は誰から見ても常に一つだ。だが、そこにある『真実』は、何時だって関わった人間の数だけ存在する。一人に一つずつ与えられる。」
「事実と、真実…?」
「客観的事実と主観的事実は必ずしも一致しないだろうが。」
「客観と、主観…」

 空ろに、水城は繰り返す。
突っ伏した水城と、その机の間には、ファイルから出された記録が無数にはさまれている。
 魅はその中身を見たことは無いはずだったが、彼女はまるで何でも知っているかのような口調だ。


「もしもの話をしてやろう。」


魅は、水城の耳元で囁く。
水城自身はもう、魅の話を聞きたくは無かった。
 しかし、拒否したからと言って、魅がやめるような人間ではないことも、もう分っている。
 彼女は、危険なのだ。
水城が、『無道』に深入りしすぎているからではない。
 無道魅は、おそらく水城にするように子供たちの心も真綿で包むように呼吸を塞いでいくはずだから。


「例えば。無道藍音と無道朱音の『真実』は。」


 そこにも存在したはずの真実は。
もう語るべき口も、声も無い。
 だからもう誰にも知る術は無い。
だが、水城が子供たちに起こった『事実』を創造しようとしているように、魅は藍音と朱音の『真実』を想像する。
 例えば。
あの夜、藍音と朱音は外出していた。
不安定な朱音を藍音が連れ出したのかなんとか、理由はどうでもいいだろう。
とにかく二人は子供を残して揃って家を開けた。
不安定な朱音は確かに子供たちを愛していたけれど、それは世間一般のものとは違っていて、時々糸が切れてしまうから。
その日も、すぐには落ち着けなかった。
だから藍音はひとまず先に家に帰った。
無論、子供たちが心配だったからだ。
しかし帰ってみれば、夜散と咲夜と朝咲は、『過去』を繰り返していた。
藍音が怒り、娘と息子たちを引き離す。
むろん、夜散と咲夜だって抵抗しただろう。
どさくさで咲夜の眼が潰れる。
怒った夜散が凶器を持ち出して藍音を刺す。
そこへタイミング悪く朱音が帰って来る。
『過去』の傷跡と痕跡を残した子供たちと、それを止めようとして刺された最愛の者の姿を見て、不安定になっていた朱音は。
藍音の亡骸に縋った朱音は、今度は『娘』に、『取られる』と思ったかも知れない。
朱音が、朝咲を刺す。
 激怒した夜散と昨夜が朱音に襲い掛かり、やはりもみ合っているうちに夜散の耳が千切られる。
 朱音が事切れた後に、それでもおさまらなかった夜散が、あるいは咲夜が。
両親を滅多刺しにする。


「――そんな、しかし、」
「もちろんこれは『もしもの話』だ。藍音と朱音の『真実』は、あいつら自身にしかわからない。そして本人たちは既に死んでいるのだから。」
「じゃあ、子供たちの身体の痕は…」
「この場合なら、朔しかいないだろうな。」


仮に、無道朔に虐待を受けていたとすれば、十中八九そこに連れて行っていたのは藍音か朱音か、あるいはその両方が子供たちをその状況に放り込んだことになる。
その事実を、藍音と朱音が知っていたかどうかはこの際関係がないのだ。
子供たちからすれば、両親からの直接的な虐待ではなかったとしても、間接的なそれだと認識されるのだから。
だから、子供たちが両親を厭う理由もまた、それなりにあったことになる。


「そんな…むちゃくちゃじゃないか…」
「当たり前だ。他人の『真実』なんだからな。当事者以外の人間からすれば、そのほとんどは『ありえない』ことだろ。」
「――それじゃあ、『悲劇』の『繰り返し』って…」


 もう、水城が表情を歪めなかったのは、麻痺していたからだろう。
水城の思考回路は、魅と接触するときには凍結してしまっていた。
 それはある意味で生きてきた世界観の違いによるカルチャーショックとも言うべきことなのだろうけれど。


「どうせ、お前朝咲に性交の相手が誰だったのか、聞けなかったんだろう?」


 魅の言葉が、たとえ虚構の空想であったとしても、そこまでの可能性を示されれば、水城にだって『ありえない』はずのその先を、容易に考えることが出来た。
 しかし、それを自身の口で示すことは、水城には出来なかったのである。
もし魅がそれを口にしたとしたならば、水城は表情を歪めて否定しただろうから。
 どうしても、常識の枠から逸脱することが出来ない水城にたいして、そもそも常識と非常識を隔てるラインをもたずに生きる魅がそれを口にするならば、あるいは水城は眉を顰めながらも否定できずにいたかもしれないけれど。
 自分は、狡いのだろう、と。
水城は思った。
 そしてそれを見透かすように魅は水城の表情を眺めて哂い、そしてそれ以上は無言のまま、ただ微笑を浮かべていたのである。
 無道魅は、水城が口を開くまで、待っていた。
壊れた玩具には、興味が無いのだ。
 新しい玩具を見つけたら、魅はすぐに水城の興味など失せるのだろう。
そして壊して、壊れるまでの過程を楽しむ。
 『愛着』が沸くまで。
 本当ならば、魅の新しい玩具は夜散と、咲夜と、朝咲だったのかも知れない。
ただ、気まぐれに兄弟妹たちよりも水城に興味を持った。
 だから彼女は水城が壊れてゆく様を楽しむ。
 水城自身はそこまで考えが及ばなかったが、仮にそこまで気付いていたとしても、あの子供たちがその苦しみから逃れられるのならば、逃げはしなかっただろう。
 それは彼の、無意識の偽善であり、偽悪だから。
しかしそれは、水城の事情であって魅の事情ではない。


「――そろそろ、壊れ時かな。」


 魅は呟く。
そして彼女が察したとおり、水城は『壊れ』てしまったのだ。
 内線が鳴り響き、半狂乱とも取れる声が『終わり』を告げるまで自ら口を開くことが出来なかったのだ。


『水城先生!大変です!すぐに…すぐ来てください!!』



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2009/11/16


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