(マワ)(メグ)った(ヒル)(ユメ) 



「煮詰まっているようだな。」


 再び、無道魅が水城の前に現れたときも、前の二回同様に唐突だった。
 水城が、悩む時点でクライエントに巻き込まれているのだ。
それはこの専門分野においては褒められたことではなかったが、だが、もうどうでもいいように思えた。
 ただ、それで不適切であると仕事から離されてしまうのなら、その前にどうにかしたかったのだ。


「無道朔は、彼女は子供たちにとって一体『何』なんだ?」
「母親だろう?血の繋がっていない。」
「そういうことじゃない!調べて分るようなことを言ってるんじゃないんだ!」


 半ば八つ当たりのように吐き捨てられた言葉を、魅は軽く笑い飛ばして応えた。
水城が、感情に任せて机に拳を叩きつければ、反動でコーヒーが入ったマグカップは倒れて中身が半分ほど零れた。
 黒い液体で絵を描くように、魅は奇妙な模様を辿りながら更に笑う。


「なら、お前の知らない話をしてやろうか?」


 頭を抱えていた水城は、魅の声に眉間に皺を寄せたままの顔を持ち上げる。
魅の顔は、思ったよりも近くにあったが、それにいちいち反応する余力はもう、水城には残っていなかった。
 いっそ煩わしそうな視線で先を促してくる水城に、魅は寄せていた顔を離して、窓辺によると無機質で何の特徴も無いアルミサッシの窓を開け放って、そのふちに軽く腰をかけた。
 外側に落ちれば、転落死は免れない高さはあるはずだったが、乾いて変色した血のような色の着物を着た女は、危なっかしいばかりの動作で、だけど決して落ちそうな気配は見せない。
 そしてやはり、無道兄弟妹のどこか特有ともいえる歌うような口調をもって一人話し出した。


「無道朱音は、無道朔の兄の(のぞみ)と結婚するはずだった。」
「無道朱音?」


 そして、口など挟もうなどと思ってもいなかった水城もまた、反射的に返してしまう。
そんな自分の言葉に、水城は舌打ちをしそうになったが、魅はただ嗤って先を続けた。


「朱音と望のそれは、藍音と朔の結婚よりも先に決まっていたことだ。だが、朔の胎の中に望の子供が居ることが発覚して破談になった。結局子供は流れたが、その後、朱音と望の縁談が復縁することなく、望は別の女と結婚し、朔と藍音の結婚が決まった。怒った朱音が破滅させようとして藍音に媚薬を飲ませた上で、自分は排卵誘発剤を飲んで迫り、藍音との間に四人の子供を生んだが、結局藍音と朔の縁談は破談にならなかった。」


 ほとんど一息に、そして淡々と。
魅は無道兄弟妹の取扱説明書か何かを読み上げるかのように、今まで誰も知らない話を語った。
 そして、言葉もなくしてただ目を見開く水城に向かって、またにやりと口元を歪ませて。


「さて、お前は『真相』を知りたがっていたが、この『真相』は、どうする?」
「どうして!貴方は何故僕を混乱させようとするんだ?!」


 反射的に、水城はまた叫び、そしてまた机に拳を叩きつけていた。
『真相』は、確かに望んでいた。
公正な正義が行われるためには、出来るだけ正確な『真実』が必要だと信じていたから。
 だから水城は常にそのためになる情報を望んでいた。
釈然としない事件も、その背景も。
 そして徹底的な調査も無いままに終止符が打たれたことに対しても。
その総てに対して納得がいかなかったから。


「お前が、望んでいるからだ。」


 そしてやはり、水城が自ら察していたように、魅もまたそれの核心部を切りつけてくる。
自覚していることを、他者に口から改めて聞かされるということは、酷く息苦しかった。
夜散と咲夜の証言のどちらがより真相に近いか、水城はそれを知ろうとした、
だがそれでは解決になどならないのだ。
それを知れば次は、その原因がまた水城を締め上げる。
 何故、子供たちは虐待などされなければならなかったのか。
何故、無道藍音と朱音は自分たちの子供に虐待などしたのか。
そんなことにならなければ、この事件が起きることもなかったのに、と。
 そして魅は、ただその先回りをしただけだった。
 無道藍音と無道朱音も、自らの子供たちを虐待するに至るだけの歪められた『真実』が用意されていたのだ。
 それを知れば、水城は無道夜散と、咲夜と、朝咲のために動けなくなる。
子供たちのために動くだけの悪意が、そこに存在しなくなるからだ。
 まるでメビウスの輪のように、始まりうも無ければ終わりも無い悪循環。
 表情を歪めたまま、水城は現実から目を背けるようにして両手で頭を抱える。
ぽたり、ぽたりと。
 机の端まで侵食したコーヒーが、床に小さく模様を描いた。
そして魅は、水城に追い討ちをかけるように更に続ける。
歌うように紡がれる『真相』のかけらを、水城はもう聞きたいとは思わなかったのに。 


「もう一つ言えばな、朔は望の子供が流れたときに、子供を生めない身体になった。子供を生めなくなった朔が、同じ『兄妹の間に生まれた子供』を与えられて、果たして素直に喜んだと思うか?『何時』から朔が狂いだしたか、お前は知っているか?」


 おとぎ話の中で、シンデレラの母親は自分の娘ばかりを可愛がり、継子を苛めた押したという。
しかしそれとは逆に、実子をぞんざいに扱い継子を可愛がることで、自身と外界を安定して繋ごうする心もまた存在することを、水城は専門家として知っていた。
 無道朔は、確かに朱音よりよほど母親らしく子供に接していた。
だけど、それは魅が言うように、ただの狂気の裏返しだったのだろうか。
 自分が生めなかった子供を愛そうとして、愛しきれなくて、行き場を失った感情が捩れて無道朔もまた、歪んでいったのだろうか。
 何処まで行ってもそれはまた、水城の憶測でしかなかったけれど。


「確かに、朔は子供を愛していた。四人の子供の、一人からすれば、な。」


 始まりに失ったはずの最後の一人は。
いつの間にかまた四人のなっていた。
 その、尋常ではない存在に、自分の失ったものを重ねて。


「そういうふうに、朔もまた緩やかに精神が歪んでいたんだ。なら、別に虐待していたのが藍音と朱音のほかにいたっておかしくはないな?」


 水城が、執拗に断定をしようとする思考回路を押さえようとしているというのに、魅はいとも簡単に最後の一歩を踏み進める。
 そうして断定してしまえば、もうそれ以外に柔軟な考え方が出来ないとわかっている水城が、苦しむさまを見て楽しむように。
 水城もまた、その呪縛に絡め取るように。


「そんなはずはない!」
「ほう?それじゃあお前、やっぱりあいつらが親に虐待されてて良かったってことじゃないか。」
「違う!そうじゃないだろう!」


 根本的なところが、噛み合わない。
しかしそれを、水城は上手く説明できなかった。
 そもそも、行動が起こされるまでの心の動きなど、人が測れるものではないし、虐待は支持されるものではないのだ。
子供は、『命』は。 等しく愛し慈しまれるものなのだから。


「いいですか、無道魅さん。僕は、そういうことを言いたいわけじゃないし、興味本位で動いているわけではありません。」
「違うのか?」
「違います。僕は、夜散君と朔夜君と朝咲ちゃんを、助けたいだけです。」
「それが、興味本位と何が違う?あいつらならもう助かっている。罪は問われない。」
「そういう次元の話じゃありません!」
「じゃあどういう次元の話なんだ?」


 堂々巡りから抜け出せていないことに飽きたらしい魅は、酷く冷酷な声で水城を切りつける。


「真実を知りたい、真相を知りたいといいながら、お前の中の真相はすでに決まっている。」


淡々と、魅の声が水城の心に一本ずつ細い針を突き刺していく。
その都度上げられる悲鳴を、楽しむように。
被害者の無道藍音と朱音には殺されるだけの理由があり、加害者である子供たちは長年積み重ねられてきた傷があった。
それこそ、発作的に親を滅多刺しにするほど。
無道夜散と咲夜の証言には食い違いがあるが、結果として殺人の実行者は決定付けられている。
その年齢と動機から、社会は子供たちを無罪放免にしたが、それでも調べれば何れその食い違いから更なる真実が暴かれる知れない。
だからその前に、水城は人を二人、しかも子供が両親を殺したというその理由が、不可抗力のものであるという決定情報が欲しいだけだろうと。


「違う!僕はっ」
「違わない。現に、藍音と朱音の悲鳴から目を背けるなら、お前は自己満足のために動いているだけだと示すだけじゃないか。」


 だから、それを揺るがされる情報を与えられて、取り乱す。
殺されるだけの理由があった無道藍音と無道朱音にもまた、実子を虐待してしまうに足る理由があるなどと、都合が悪いだけの情報であるから。
 だけど、それでもまだ、水城は自身の中に存在するそれには気付いていない。
 耳を塞いで、目を逸らして、直面することを恐れて、苦しむ子供たちを救うことを代償行為として繰り返してきたからこそ、水城自身は均衡を保つことが出来たのだから。


「そんなに、(アキラ)が死んだことがショックだったのか?」


 しかし、魅は水城が必死になって無意識に押し込めようとしている場所ですら、容易に踏み込んできてしまう。
 瞬間的に顔色を無くした水城は、同時に言葉をも失い、そして目の前の現実感すら失くして固まった。
 それは、魅が知るべきことではないはずであった。
いくらその口から出された名前の人物も、同じ『無道』の姓を名乗っていたとしてもだ。
 『景』が死んだのは水城が研修生の頃の話であり、もう何年も前のことだ。
少女と女性の境に位置する容姿にしか見えない魅が、生まれる前のことだろうと判断できる。
 しかし、魅が口からでまかせを言っているとは、到底水城にも思えなかった。
彼女はまるで、その目で見てきたかのように笑うから。


「お前は、分り易いな。」


 そう。
茫然自失となった水城に対して、魅はまた笑ったのだ。
そして今度のそれは、手の平の世界を面白そうに嗤うどこか陰惨な笑みとは違う、無邪気な子供のそれを同じ笑みだった。
 だが、やはり魅は、水城もたくさんある中の一つにしか思っていなかった。


「子供たちが、不本意な殺人をしたという理由については無限の可能性を探るくせに、どうして『藍音と朱音が、逆上して刃物を持ち出すほどの『何か』があったのかも知れない』という可能性については言及しない?」


子供たちにはいかにも『被害者』である事実が残されている。
それを鵜呑みにするのは、『死人に口無し』という夜散の言葉を認めることになるだろう。
 そしてそれを認めれば、仮にも公正な正義が行われるために真実を求めた水城の中に、矛盾を生み出すことになるだろう。


「たとえあなたの証言であったとしても、それがあなたの作り話でないという保証は無い。」


 まるで逃げるように、言い聞かせるように、水城は声を押し出す。
その声が呻いている時点で、水城が魅が語った無道藍音と朱音の話を根拠の無い話だと思えないことを認めることになっていたが、感情と理性は常に手を取り合っているわけでない無いのだ。
 水城の感情は、魅が針を刺すたびに彼女が楽しむに充分な反応を返していた。
だから魅は、期待を込めて今度はその理性に針を刺すことにした。


「なら、書類で分っていることはどうなんだ?」


 反応は、悪くないらしい。
絶望的な表情をしていた水城は、またその言葉に顔をゆがめる。
 すぐに反応したということは、意識的に忘れてはいてもしっかりその事実は記憶しているということだ。


「無道朝咲のレイプ検査は、陽性だったんだろう?相手は特定できたのか?都合の悪いことを見逃すな。性交の相手が藍音だと断定できないのなら、お前たちはまだ朝咲に話を聞く必要があるんじゃないのか?」


 無道朝咲が精神症状を抱えていたとしても、夜散のような例がある。
彼女もまた、何かを覚えているかも知れないし、何かを知っているかも知れない。
 魅の指摘は最もなことであり、逆に何故今までそれを行わなかったのかを暗に責めているとも取れたが、しかしそれでも水城は抵抗を示して最後の足掻きを試みた。


「――無道魅さん…貴方は、一体何を求めているんですか?」


 果たして、魅の返答といえば。
彼女は手の平を翻し、着物と同じ色に染められた指先を面白そうに開閉しながら笑った。


「真新しい玩具も、直る見込みの無い玩具も好きじゃないんだ。玩具は少し壊れているくらい使いこんであった方が愛着がわくだろう?」


 水城は、両手で現実と与えられた情報から目を逸らして、呻く。
その反応もまた、魅を楽しませているだろうということも分っていて。
 だけどそうせずにはいられなかったのだ。
無道魅は、あらゆる角度から核心を突く。
 その針の長さに、水城は抵抗する術が無かった。



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2009/10/24


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