(ワス)()られた(タマシズ)め 



「――朔。それに、魅…どうして…?」


 咲夜の声が、殺伐した閉鎖病棟の白い壁に反射する。
 驚いたような声は。
他者に対して感情を見せることがほとんど無い無道兄弟妹にとって、無道朔と無道魅がどれほどの存在であるか、それを知るにはひと目の半分ほどでも充分だっただろう。
 翌日、再び現れた魅は、今度は無道朔と伴っていた。
 昨日、面会時間などという存在など最初からまるで無視をした魅が訪れた理由は、翌日のためだったらしい。
 どこかぼんやりしたような無道朔が乗った車椅子は、名前を呼ばれても相手が誰の名前を呼んだのか理解していないような笑みを、ただ浮かべただけだった。
 例によって、夜散と朝咲の病室に訪れていた咲夜は、その姿を見て僅かな間を挟んだ後に微笑んだ。


「じゃあ、面会時間は15時までだから。」


 水城は必要事項だけを伝え、早々に部屋を後にしようとする。
それは、夜散と朝咲のもとに咲夜が訪れたときと同じ行動であった。
 そしてそれに対する子供たちの反応はいつも淡白なもので、夜散は煩わしそうに眉を顰め、朝咲は夜散か咲夜の腕の中で起きているのか眠っているのか良く分らない状態のまま、そして咲夜は部屋に入った瞬間には、もう水城のことなど視界と思考から追いやってしまうのである。
それが、この兄弟妹たちの、自衛の仕方なのだ。
それは今日もかわらないものであるはずだった。
少なくとも、変化を見せる必要は、無かったはずだから。
 しかしそれでも、水城は見逃さなかったのだ。
彼が部屋を出る瞬間。
朔が車椅子の上から伸ばした両腕を受け止める、咲夜の表情が、一瞬だけ、ほんの僅かに歪んだのを。
 咲夜は、否、咲夜も。
夜散も咲夜も朝咲も。
 外の人間を頼るということはしない。
頼るという概念が、そもそも無い。
 だからおそらく、どうしたらいいのか分らないのだ。
だから水城も、それに咄嗟に反応を拾うことが出来なかったのだ。
 ほんの僅かな反応をそのままに、水城は音を立てて重い扉を閉める。
何重にも重ねていた鍵を、再び閉めて、そうしてようやく水城は一つ溜息をついた。


「重そうな溜息だな。」
「おわっ!」


 背後から、唐突に響いた声はもちろん水城の予想外の者のものだった。


「どうして、此処に…」
「どうもこうもない、最初から此処に居た。」
「貴方は、中に居なくていいんですか?」


 水城はたった今閉じたばかりの重々しい扉を指さして問いかける。
しかし、魅は軽く笑っただけだった。


「中には朔がいる。無意味だ。」


 『無意味』という言葉が、何を意味するものなのか、咄嗟に水城は理解できなかった。
魅は、当然といわんばかりの口調で、逆に水城の反応に違和感を覚えているようだった。


「私があいつらの傍に居る意味は無い。」


 だから魅はもう一度水城が分るように説明する。
それを、今度は水城が理解したかどうかは、もう興味も無いのだろう。
 魅の言葉を、少し噛み砕くように間を置いてから、水城は応えた。


「今更ですが、貴方はあの兄弟妹とはどういった関係なんですか?」


 だが、魅は口元を吊り上げて嗤っただけで、応えなかった。
そもそも、無道朔にしたところで兄弟妹たちとは全うな関係とは言えない。
 否、全うでないのは無道夜散、咲夜、朝咲の出生だ。
だから、誰との関係を取っても全うなものにはならない。
 結婚を、する前から同じ姓であった無道朔のように、同じ姓をもつ魅もまた、血族であることはなんとなく想像はできるけれども。
 にやり、と。
魅は嗤う。
 その笑みに、水城は。


「あなたは、一体何者ですか。」
「知りたいか?」


 思わず口にから零れた言葉は、頭の中だけで思ったつもりの言葉だった。
先ほどと同じような意味を含む言葉は、しかし、どうやら口にしてしまっていたらしい。
魅は酷く鬱屈したような笑みを、やはりにやりと口元だけに刻んで、そして乾き始めた血のように赤黒い色の着物から白い手を伸ばして水城の顔を捕らえる。
 それを引き寄せて、耳元で氷のような吐息を吐き出した。


「私は、『(みいる)』だ。『無道(ムドウ)』の、『(ミイル)』。それ以上でも以下でもない」


 睦言を吐くような、どこか甘ったるい、だけど怖ろしいほどに研ぎ澄まされた角度を持つその吐息に、水城は反射的に身体を離した。
その反応が面白かったのか、魅はくつくつと咽喉の奥で笑う。からかわれたと、憤慨することは出来なかった。
 そして、答えになっているようでなっていないそれが、最も的確で端的な説明なのだと直感的に理解したから。
いっそ戦慄に近い直感に表情を歪めれば、魅は「お前は面白いな」と笑う。


「お前は、目の付け所だけは面白い。」


 それだけ言うと、魅は先を続ける前にすたすたと歩みを進めた。
釈然としない言い方ではあるが、水城はそれについては反論しなかった。
 自分が、本来の仕事という観点からすれば、逸脱しすぎているやり方であるということは、いわれなくても理解している。
 模範とされるやり方であることは出来ないということもまた、自覚している。
そして、それが致命的であるということもまた、良く分っているのだ。
 だから、何も言わない。
そのまま、水城は無道夜散と朝咲を監視するためのモニター室に向かった。
 魅の後を、付き従う形になったことには、多少の疑問があったが。
来院者の出入り口は、まるで反対方向にあるというのに。
 しかし、それがおそらくは魅にとっては当然の行動なのだろう。
 此処に来るまで、魅も水城もただ歩いているだけだったが、魅はまるで絶対的な支配者か、まるで存在感を持たない空気のような存在のように思えるのだ。
面会時間も、面会謝絶も、立ち入り禁止区域も、彼女には無い。
水城がそれを口にしようが、この閉鎖病棟の医師や医院長が言おうが、あるいは家庭裁判所からその任をおったの監査員が出て来ようが、関係ない。
 魅は有無を言わせぬ圧力でもって、あらゆる権力とルールをねじ伏せる。
擦れ違った医師達は皆例外なく魅に頭を下げ、魅がそれに応えることはない。
その癖、看護師や看護婦など、患者の世話をするためにそこらを走り回っている人間からは、魅の姿などまるで見えていないかのように、水城に挨拶をするものはいても魅には無反応なのだ。
 そして魅もまた、それが当然と言わんばかりに無反応と無感情でいる。
 だから誰もそれを疑問に思わない。
 ごく、当然のように水城と共にモニター室に入ることも。
そこが、原則として一般人の立ち入りが禁じられている場所であることも。
 だから水城も、疑問を持つことをやめようとした。
背後の奇妙な存在感は気にせずに、いつもの手順でモニターを作動し、コーヒーをマグカップに入れる。
背もたれの大きな椅子に座って、そしてモニター越しに、水城は白い部屋の中を眺めた。
背後ではごく当然のように魅がその姿を見つめていて。
 水城がいつもと同じ行動を取って、魅の分のコーヒーを淹れなかったことも、椅子を勧めなかったことも、魅にとっては『いつもどおり』のことなのだ。
 そして彼女は、視線をモニターの手前で固定する。
まるでいつになったら水城が気付くのかと、面白そうに観察しているように。
背後の視線が気になるのか気にならないのか、自分でも良く分らなかったが、試されているのだろうかと、水城は少しだけ不愉快になった。
そしてやはり、魅にはそれを言ったとしても、きっと無意味なのだろう。
 だから水城は、背後の視線を切り離して自分の視線を目の前にモニターに固定させた。
いつもと同じ光景に加えて、今日その切り取られた倒錯世界に飛び込んだのは、車椅子の女性だ。
 朝咲とそう変わらない容姿の無道朔は、ゆるゆると世界に足が着いていないような浮遊感で微笑んでいる。


『朔、こんな所にまで来て大丈夫なのか?(のぞみ)が怒らない?』
『どうして望くんが、あなたに会うのに怒るの?』


 そして聞こえてくる声は。
咲夜のものだ。
 咲夜は、夜散が朝咲を抱きしめるように、ごく穏やかな両腕で咲夜を求める朔に応える。


『望は、俺のことを怒らない?』
『怒らないわ。だって、あなたは、』


 モニターに、それ以上の音声は拾われなかった。
しかし、その後に続いた朔の行動は、母親であるのか恋人であるのか良く分らないような、酷く曖昧な線引きしか出来ないもので。


『咲夜』


 それを、どこか不満そうに夜散が遮って。
咲夜はゆるりと視線だけを向けた。
 朔は、夜散の声など聞こえていないかのように咲夜にしがみついていて。
どこか、危うい均衡の上に成り立つその安定は、モニター越しの水城にぴりぴりとした空気を彷彿させる。
 その空気を、まるで感じられていないのは、夜散の腕の中でまどろんでいる朝咲と、倒錯した世界でなお、浮遊している朔だけだろう。


『僕は、大丈夫だよ。夜散』
『本当に?』
『うん。』


 モニター越しの、奇妙な、違和感は。
背後から受ける、どこか挑戦的な視線は。
 水城が何度も覚えてきたものではあるけれど、この日初めてその正体を知ったのかもしれない。


『僕は、どこへも行かないよ。』



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2009/10/04


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