(オワ)りを()くして(メグ)()く 



『奇妙なことにね、この事件では被害者と加害者が居ないんだ。』

 それは確か、家庭裁判所で関わった誰かの言葉だったはずだが、水城はもうその名前を覚えていなかった。
どうして忘れてしまっていたのかは、良く分らない。
 もともと、関わったクライエントに巻き込まれやすいと自覚している水城は、仕事以外の場所では意識してそれらを覚えないようにしている傾向があるから。
無論、関わったクライエント総てに巻き込まれるわけではないのだが、水城にとっては『無道』という名がどうにも鬼門であったらしい。


『それは、どういう意味なんだ?』


 水城は相手の言葉の意味が良く飲み込めずに、問い返した。
彼は頭が悪い人間ではなかったが、相手の言葉のなす意味は難解に思えたから。
 今回に限らず、いわゆる事件の加害少年の精神鑑定を依頼されたことは初めてではなかったし、事件性として死体発見から容疑者逮捕まで実にスムーズに運んだ事件であったが、水城自身はどうしても腑に落ちないものを感じていたから、難しく考えすぎたのかも知れない。
 しかし相手は、それを笑ったりはせずに自身の意見をただ淡々と応えた。


『今回の場合、もちろん殺害された無道藍音と無道朱音は被害者に当たるだろう。しかしね、殺害された無道夫妻を悼むものも居なければ、子供たちを心配するものも居ない。その罪を責めようとするものも居ないんだ。』


 それはつまり、端的に言ってしまえば被害者である両親も、加害者である兄弟妹にも関心を持つものが無く、世間から忘れ去られている存在だということだ。
 人間が人間を殺した場合、それはいかなる事情が間にあったとしても、必ず訴えるものと訴えられるものが出てくる。
 遺族であったり、友人であったり、あるいは恋人である場合もあるだろう。
それが普通ともいえる流れであるし、14歳以下の少年が犯した事件であれば、その詳細が公開されないだけに余計にとも言える。
 しかし、この『無道』に関しては、極端に関わるものが居ないのだ。


『無道兄弟は、確かに両親を殺害した加害者だ。そして同時に虐待の被害者でもある。そして今は庇護の手を失くした天涯孤独の身だ。彼らは多分、自分たちがその三つの状況の何処に位置しているのか、分らないんだよ。だから自分たちの世界に閉じこもったんだ。』


彼は、ゆるりと煙草に火をつけながら続けた。
水城は彼の口と手元から立ち上る煙を眺めながら、その言葉の意味をかみ締める。
 それは、確かに正論なのかもしれない。
そして正論の一つではあるかも知れないが、唯一のものではないということも、水城には良く分っていた。
ある意味で、被害者の存在あるいは被害者の家族や友人が加害者を責めることによって、加害者は自身を『加害者』であると定義づけることが出来る。
無論、裁判によって自身を定義付け、刑に服すことで罪を償うわけだが、自身が罪を犯したのだと自覚し、自覚することが償いの一歩目とするならば、法廷から見下ろしてくる裁判官たちよりもはるかに身近な声が遺族であるからだ。
なのに、今回の事件では被害者は二名とも死亡し、加害者であるはずの少年たちは同時に被害者である可能性が強く示唆される状況にある。
そして殺害した張本人でありながら唯一の遺族なのだ。
子供たちにとって、無道藍音と無道朱音が支配していた『家』は、確かに救いなど無かったかもしれない。
けれど、そこが彼らの世界の総てであったことは事実なのだ。
人が二人殺され、子供たちの『世界』が崩壊した。
そしてその事実を前に、否、だからこそ、子供たちを定義づける存在が何一つ存在しなくなってしまったのだ。


『無道朔は?』
『確かに無道朔は無道藍音の配偶者だ。無道夜散、咲夜、朝咲を責める権利はあるだろうし、それ以前に無道藍音、朱音を責める権利もあるだろうね。だけど、彼女は長い間入院している。無道兄弟妹と同じ理由で。その権利を行使するのは、難しいだろうな。』
『まさか無道藍音からDVを受けていたのか?』
『違う、そういう意味の『同じ』じゃない。精神疾患が認められているんだ。診断名までは分らなかったが、とにかく現実検討能力が著しく低いらしい。まあ、入院しているくらいだからな。自分の夫が書類上の子供に殺されたことを認識できているかも怪しい。』


 この会話の中で、誰が一番の『被害者』であるか、水城は判断できなかった。
誰が悪いのかも、どれが動機なのかもさっぱり分らない。
否、動機はほぼ判明したと考えてもいいだろう。
無道咲夜が、それを証言したのだから。
 しかし、表面的には充分であるはずのその証言も、どこか何かが歪んでいるのだ。
それは、最初から分りきっている。
 それでも、体裁が揃ったところで警察は家庭裁判所に送致し、兄弟妹に対する調査が始まった。
両親を滅多刺しで殺すという行為は、一見すると凶悪殺人事件以外のなにものでもない。
それが14歳という年齢であっても、刑事事件として扱われる可能性は高かったが、今回の場合は例外的なものとなった。
 その調査の一部として水城に子供たちの精神鑑定を含む調査依頼が来たわけだが、家裁による調査は様々な理由から困難を極めた。
 まず事件当時に負った怪我のために、子供たちが家庭裁判所にも少年鑑別所にも出向くことが出来ない。
そのため、本人たちに対する調査は病院内で出来る範囲に留められた。
加えて、その生育歴や生活状況を調べるために通常であれば保護者や学校の教員が呼ばれるのだが、保護者は殺されてしまい、戸籍上の母親である無道朔は精神疾患を負っていて入院中だ。
学校にもほとんど行ってはいないときている。
マンションとはいえ近隣との交流もなければ、親族が何処に住んでいるのかも分らない。
調査自体が、酷く困難を極めたのだ。
 様々な手を尽くし、どうにか形だけでも情報を整えようと調査員たちは奔走したが、直接的な情報はそれこそ限られ、現実にそこにあったはずの家族像を周囲から作り上げることはほとんど出来なかったのである。
 逆を言えば、殺害された無道藍音と無道朱音を含む無道一家が、いかに世間から切り離された存在であったかを認める結果になったわけだ。
 彼らは、学校も、児童相談所も、警察も、市役所も、何処とも繋がっていなかった。
事件が起こるまでまるで、無道一家は事実上行政から切り離された生活をしていたのだ。
 そのような閉鎖的な空間の中では、何が起こっても誰も何も分らないし、誰も気付かない。
そしてそのような生活環境を選択した無道藍音と無道朱音は、もうこの世には存在しない。
故に、事件背景の詳細が世に晒されれば、責任は子供たちではなくそのような家族の存在を見落としたままきた行政側に責任と非難の声が向くことになるのだろう。
 家庭裁判所は、基本的に事件が起こったり訴えがあって初めて動く場所ではあるが、本来ならば今回のようなケースは事件になる前に何かしらの機関に介入されて然るべきのケースなのだ。


『別に、いつかこんな日が来るってことは分ってたから。』


 不意に、今度は水城の脳裏に咲夜の言葉が再生された。
それは、いかなる感情のもとに選び出された言葉だったのだろうか。
 水城には、人に滅多刺しにされた経験もなければ人を滅多刺しにした経験も無い。
これからもおそらくないだろう。
だから滅多刺しにされた無道藍音と無道朱音の苦痛はいかほどのものかは決して知ることは無い。
 そして、親を滅多刺しにするほどに憎まなければならない境涯に置かれた三人の子供たちの傷の深さもまた、決して知ることは出来ないのだ。
 想像することも、それがどのようなものか知識として知ることは出来ても、決して理解することは出来ない。
 最終的に、無道夜散、咲夜、朝咲の三名は、その後の処遇として児童自立支援プログラムが適用され、その一環としてまずは精神科のある病院に収容されたのであった。
 果たして、その処遇を本人たちがどのように受け止めたかはまた、水城のあずかり知らぬ問題であるのだが。
 記憶を辿ることをやめた水城は、ふっと息を吐き出してからゆるりと目を閉じて天井を仰いだ。
 そして、ごく小さく呟いてみる。


「――無道、藍音。無道朱音。無道夜散。無道咲夜。無道朝咲。無道散朝。」


 夜に散り、夜に咲く。
朝に咲いて、朝に散る。
 無道兄弟妹の名前をつけたのは、藍音と朱音の一体どちらだったのだろう。
彼らは一体何を思って、その名をつけたのだろうか。
 咲き、散る。 朝に、夜に。
 それは、何を意味しようとしていたのか。
水城は何気なく、声に出してその名を呼び、そして目を開けると今度は白紙に名前を書いていった。


「藍い音。朱い音。」


 考えてみれば、酷く分りやすい名前なのかも知れない。
あつらえたように対の名前が、他人同士であるわけがないのだ。
 そして水城は、何か思い出したようにもう一度声に出してその名を呼びながら、同じように白紙にペンを走らせた。


「――無道朝咲。無道咲夜。無道夜散。無道散朝。」


 朝、咲き 夜、散り、また、朝へ。 咲く、夜、散る、朝、そして、咲く。
朝に咲き、咲いた夜に、また散り、そして散った朝に、また咲く。
そうして、言葉遊びのように繰り返されていく、『何か』。
 酷く、苦々しい仮説に辿り着いてしまったような気がした。
そこには、『始まり』が無い。
 『始まり』が無いから、『終わり』が無い。
あるいは何処からでも『始まり』、いつまでも『終わらない』。
 終われないのだ。
 だから、亡くして、求めて、入れ替えて、押し込めて、奇妙に捩れた果てに、奪ったのだ。
安息を。
 水城は一つ、背筋を這い上がるような戦慄をやり過ごしてから無道咲夜の面接記録を関係ファイルに戻した。
そして、また別のファイルを取り出すと、おもむろに無道夜散の面接記録のページを開いたのである。



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2009/09/13


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