(アヤマ)(タオ)れた(ヒト)(カタ) 



「久しぶりだね、咲夜君。」
「…っス。」


 それ以上続かない会話に、咲夜を先導していた水城は静かに視線を外した。
とりあえずはおとなしく自分のあとについてくる少年は、関わり始めてしばらく経つが今でも良く分らない。
 必要以上のことは何一つ話したことが無いように思う。
 もう少し、彼が自分自身の内面について話してくれるとしたら、少しは力になれるのではないかと思うのに。
彼は客観的なことを語ることはあっても、自分の感情的な部分を語ることは極端に少なかった。
 左眼を覆った眼帯の下、今は空洞となっているそこに、本来あるべきものの代わりに何か酷く混沌としたものを押し込めているような、そんな印象。
それは、水城がこの少年の精神鑑定をしたときから何ひとつ変わらなかった。
 リノリウムの床が靴裏のゴムと奇妙な摩擦音を放っていて、それがいやに耳につく。
時々ひっそりと、気付かれないように視力を失った方から視線だけを咲夜に向ければ、彼はただ無表情のままでついてきていて。
 格子とフェンスの向こう側にあるガラス窓の先に、時々思いを馳せるように見やるが、多分そこへ行くことは望んでいないだろう。
 鍵の束を取り出して、わざとらしく音を立てる。
その音で、咲夜は目的の部屋に近づいたことを察した。
 病棟の、一番上の、一番端。
色だけは綺麗に塗られた白い鉄の扉の、たくさん取り付けられた鍵穴に、水城は順番に鍵を差し込んで行く。
 がしゃん、がしゃんと。
重々しい音を立てて、その中の異質な空気が現実世界に少しずつにじみ出てくる。
 その空気を、水城はいつも呼吸が著しく制限されてしまったかのように感じていた。
 対して、咲夜はその空気が肌を侵食してくるにつれて、少しだけ表情が喚起されてくるようだった。


「やあ、夜散君、朝咲ちゃん。」


 水城は早まる鼓動と、詰まりそうになる呼吸をどうにか平常に保とうとしながら、部屋の住人に笑いかけた。
 真っ白な壁に背を預けて、溶け込むように座っていた名前の主の一人は、水城の声にゆるりと顔を上げる。
 そして不機嫌そうに一言だけ声を発した。


「今度は、何?」


 咲夜とまったく同じ顔をした少年が、訝しげに水城に問いかける。
咲夜と夜散の違いといえば、咲夜には左目が無いことと、夜散の右の耳朶が奇妙に千切られているところくらいか。
 その部分欠損を除けば、二人の顔を綺麗なシンメトリーを描いていて、何処と無く人間離れした造形印象を伺わせたことだろう。
 しかし、この子供たちに関わる大人は、それを惜しんだことは無かった。
夜散が大事そうに腕に抱え込んでいる少女もまた、彼らとまったく同じ造詣の顔を持っていたから。
その、どこか作られたような造形美の完成体を目にすることもまた、容易だったのだ。
くすり、と。
水城は口元を撓らせる。
その視線が何処に向けられているかを敏感に察した夜散は、不愉快そうに眉をしかめて死んだように眠っている少女を抱きこむ腕に、少し力が込めた。
 夜散は、朝咲に対する総てのものに過剰に反応する。
それを思い出した水城は、慌てて自分の背後に居る咲夜を部屋に招きいれた。


「夜散君、落ち着いて。今日は、咲夜君が来てくれたよ。」
「咲夜?」
「夜散、久しぶり。」
「咲夜…!」


 その時点でもう、夜散の視界からは水城など消えてしまったのだろう。
朝咲を放り出すことこそしなかったが、夜散は眼を細めて笑うと、何か酷く愛しげなものを求めるように咲夜に手を伸ばした。
 その手を取って、そして咲夜もまた、夜散に寄り添うように床に膝を着く。
酷く感情表現が少ないこの兄弟たちは、しかし互いが何を求めているのかだけは、正確に理解していて違えたことが無い。
 夜散が、咲夜の顔に触れ、同じ手に髪を絡ませ、後頭部まで伸ばしたそれで、ゆるりと自分の方に引き寄せてその頬に唇を寄せる行為を、水城は眼を細めながら見ていた。
何処か耽美的なその光景も、今でこそ馴れてきたが、最初は酷く動揺した。
元々夜散は酷く朝咲に執着しており、片時もその腕から離さなかった。
ゆるゆると愛撫する姿も度々目撃されていたが、咲夜にも同じことをするのだ。
それもまた、この少年少女達の自衛手段なのだと知った時には、別の意味で酷く動揺したのだけれど。


「――夜散君、咲夜君。面会時間は15時までだ。また、15時になったら迎えにくるよ。」
「何でお前が決めるんだよ。」
「何度も言わなくても分かってるよ。」


似たり寄ったりな返事に、水城もまた、少しだけ笑う。
咲夜が、いつも面会時間ぎりぎりまで滞在することは知っていたから。
それより早く帰る場合について説明するのは、もうしばらく前にやめてしまった。
咲夜が来て、夜散と朝咲の状態が悪くなった試しもなかったから、ビデオカメラの記録のみで人の目を外すことも、もう何度目かだった。
便宜上、水城が出ていく時に施錠はしたけれど。
彼らの部屋に設置されたビデオカメラの映像が監察出来る部屋に移動する途中で、自分のオフィスに寄った水城は、彼らに関する記録を引っ張り出した。
 ついでに珈琲メーカーに出来上がっていた珈琲をマグカップに入れて資料と共に観察室に入る。
テーブルにカップと資料を放り出し、背もたれの高いオフィスチェアに腰掛け、モニターの電源を入れれば。
画面の向こうでは、深い眠りから目が覚めたらしい朝咲が、咲夜の姿をみて夜散の腕の中から自分の手を伸ばしていた。


『さくちゃん…』
『朝咲、久しぶり。』


後は先程と同じ行為が繰り返される。
 朝咲が、咲夜の顔に触れ、同じ手に髪を絡ませて、嬉しそうに笑ってその後頭部まで手を伸ばし、ゆるりと自分の方に引き寄せてその頬に唇を寄せる。
咲夜が小さく微笑んで朝咲の頬に唇を寄せたところで、水城はモニターから眼を放した。
兄弟妹どうしのこうした行為を、本来ならば止めるべきなのかもしれない。
だが、実際問題として、それ以上の行為が成されたことは無く、それが互いの存在証明か、あるいは補償行為なのだと判断してからは、水城はあえて口にすることも無くなっていた。
そもそも、そんな行為が必要となってしまった環境こそが、問題なのだろう。
そしてそれに誰も気付かなかった結果が、あるいは気付いていて見知らぬそぶりをした結果が、コレなのである。
『無道夫妻殺人事件』。
水城は、物々しいラベルが貼られたファイルに視線を移すと、おもむろにその一ページ目をめくった。



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2009/08/07


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