Eyes on Me







Act.52 : But do not suppress my memory

 解 禁 区 





 銃声が、ピジョン・ブラッドの鼓膜を強打して、脳裏に奇妙に渇いた音を反響させた。
 その音を、ピジョン・ブラッドは今までどんなに望んでいたことか。
何度も想い、焦がれて、夢見た。
意外だったのは、それが想像以上に呆気なかったことと、多少なりとも『考える』時間が残されたことだった。
撃たれたのだと思った。
だけど、ピジョン・ブラッドに痛みはない。
 無言のまま、胸に手を当ててみても、傷らしい物は無かった。
依然、『彼』がにローズ・クォーツを獲物としてサファイアに狩りを教えた時に、銃で殺されたローズ・クォーツの死体の胸には背中の向こうの景色が見えるくらいに大きな穴が空いていたというのに。


「――君が殺すべき獲物は、僕じゃなくて『ピジョン・ブラッド』のはずだろ?」


 『彼』の声が聞こえて、ピジョン・ブラッドは放たれた銃弾が自分に当たったわけではなかったことに気付いた。
意識が地面に足をつけけるまでは、何が起きたのかさえ分からなかった程だ。
だけど、続いて耳に反響した銃声は、同時にピジョン・ブラッドの胸に激しい衝撃を連れてきた。
 今まで、ラピス・ラズリにお腹を切られた時も、ウォルフに首を絞められた時も、自分で眼を抉った時も、痛みは感じなかった。
なのに、今回だけは『何か』が違う。
胸に、焼け付くような痛みを感じる。
痛くて、苦しくて、辛くて、それでもそれはピジョン・ブラッドが望んだ結末だったはずだ。
泣きながら逃げて、命を刈り取ろうとする死に神のナイフを潜って、そして最後にたどり着いたコレが、無慈悲な現実だった。


「――……っ」


 声を上げる暇も無いくらいに、次の銃声が、衝撃と血の匂いを引き連れてくる。
ピジョン・ブラッドはきっと、自分が倒れていく事にも気付いていなかった。
 意識が先行したのは、ほんの一瞬で。
次の瞬間にはもう、痛覚も聴覚も嗅覚も。おおよそ、血塗れの目隠しをされた視覚以外の総ての感覚が、小さな身体の許容範囲いっぱいに戻ってきていたから。
 ピジョン・ブラッドは懸命に息を吸おうとして、しかし代わりに肺に入って来たのは、酸素ではなく鉄の味がする紅い体液だった。
気管を逆流したそれに噎せ返るように、小さな咳と吐血を繰り返す。


「――残念だな。どうせなら、綺麗なままで君を連れて行きたかった。」


 耳鳴りの響く中で、ピジョン・ブラッドは掠れるような『彼』の声を捉える。
耳鳴りや雑音が真夏の蝉のような勢いで押し寄せたが、何故か『彼』の声だけは鮮明で。


「僕はいつも、綺麗なものを作りたかっただけなのに。結局、綺麗なものはいつも完璧にはならない……。」


 彼も、撃たれたのだろうか?ウォルフに?
ピジョン・ブラッドの頭の中に浮かんだ疑問に、答えてくれる人間はいない。


「――欲しい物はいつだって、この手に掴むことは出来ない………」


 それ以上、『彼』の声は聞こえなかった。
 『彼』が本当に欲しい物は、一体何だったんだろう。
ピジョン・ブラッドは失われてしまった存在だと思っていた。
 だけど、本当に?
ピジョン・ブラッドの、目隠し下を血液以外のもので湿らせていく。
『彼』が欲しかったのは、何か?
宝石の眼をした子供だった?
昔亡くした他のモノだった?
それとも、本当は全部欲しかった…?


「……僕たちも、貴方に愛されたかっただけだったのにな。」


 ほら。ピジョン・ブラッドを始めとする、子供たちの世界は、こんなにもシンプルに回っている。
 その、思わず口をついた言葉が、『彼』に届いたかは分からなかったけれど。
血液と一緒に、全ての気力が体から抜け出て行くような感覚に捕われる。
 声を出すだけなのに、酷く消耗していることに、ピジョン・ブラッドは気付いた。
 不規則な呼吸と、不規則な鼓動。
死ぬんだな、と。ただ漠然と迫った事実を、ピジョン・ブラッドは疑うことも拒否することも無く見つめた。
 何かが、目隠しをされた自分の顔に優しく触れて、それがウォルフの物だと理解するのに、ピジョン・ブラッドはそんなに時間をようさなかった。
顔を見たいと思ったけど、片方は空洞になった眼を開いても、見えるのは血に染まった目隠しばかりで少し残念な気がした。


「僕を、彼のモノでいさせてくれて、ありがとう。」


 渾身の力を込めて、ピジョン・ブラッドは手を伸ばす。
手探りでウォルフの顔を探して、触れてみた。
 血に濡れた手で触って、汚してしまうことにほんの少し罪悪感を覚えながら、それでも暖かいその体温から手が離せなかった。
ただ独り、優しくしてくれた、自分達とは別の世界の人間。
ピジョン・ブラッドやサファイア達の世界の神を、破壊した、新しい存在。
もっと早くに出会えたら、彼はサファイアにも、『彼』とは違った優しさで触れてくれただろうか、と。
そんなことを考えても、もう無意味だということは知っているのだけど。


「――結局お前は、最後まで奴を想うんだな。」


 ウォルフの声は、『彼』に対して怒りを込めるような声だった。
 それが少しおかしくて、ピジョン・ブラッドの顔に自然と笑みが漏れる。


「そうする為に、僕たちは造られたから。だけど彼は、彼は僕を追いかけて来てくれたけど、やっぱり心はここには無かった。」


 自分たちにとって、生きる意味の総てが、『彼』独りにあった。
たとえ『彼』が、ピジョン・ブラッドたちに同じ物を求めてくれなくても。


「それでも。今までも、これからも、僕たちはずっと彼のモノなんだ。だって他に、存在理由なんて、欲しくなかった……」


 声が薄れて、するりと力が抜けて、ウォルフに触れていたピジョン・ブラッドの手が地面に落ちる。
 大きく息を吐き出した後は、もう同じ空気を吸い込むことは出来なかった。


「――俺は、死んでまでお前を捕らわせておく為にあいつを殺した訳じゃない。」


 ウォルフの声が遠くなって、ピジョン・ブラッドの聴覚神経に揺れたけれど、ピジョン・ブラッドはもう、言葉を返すことは出来なかった。
 ねえ、サファイア。
もう声を紡げなくなったピジョン・ブラッドは、静かに頭の中で話し掛ける。
君は彼に確かに愛されていた。
だからウォルフに殺された。
 僕は彼には愛されなかった。
だから彼に殺された。
 それは、僕と君と、どちらが幸せだったのかな?
 例えばメビウスの輪のように、それは永遠に答えの出ない真実。
だけど、不確かで、浅はかで、愚かで、美しい。そんなピジョン・ブラッドにも、ただ一つ言えることがあった。
それは。


 ああ、サファイア。
僕らは最後まで、彼のモノでいられたようだ……。






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2008/12/12   再UP




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