Eyes on Me







Act.45 : These eyes swell up and

 解 禁 区 





 傷が癒えるまでは、匿ってくれる人が必要だから。
ピジョン・ブラッドはそう理由を付けて、男の部屋に居着いた。
 それは、いちいち理由を付ける程のことではないはずだったのに、ピジョン・ブラッドは男の元に居着いた本当の理由を認めたくないばかりに、男からすればバカバカしいような理由を、わざわざ選んだのだ。
だが、ピジョン・ブラッドの本当の理由を耳にしたら、それこそ彼は馬鹿にして笑ったに違いない。男が少し、彼に似ていたから、だなんて。
だが、それを差し引いても、ピジョン・ブラッドにはもう傷を抱えたまま独りで逃げ回ることに限界を感じていた。
 それでも、うやむやのままでに居座ることが苦しくて、ピジョン・ブラッドは男に問い掛けた。


「邪魔なら出て行くけど。」
「お前の好きにすればいい。」


 彼はピジョン・ブラッドに無関心を装う。
それが少し、事あるごとに自分に触れて囁いていた『彼』の姿に、似ていると思った。
 だが、『彼』と彼を重ねる自分が、ピジョン・ブラッドは酷く苛立たしい。
『彼』はこの世に独りしか居ない。変わりを見つけたいわけじゃない。
この男も、変わりになってくれるはずなど無いのに、それでもピジョン・ブラッドは『彼』を彼の中に見て、戸惑っている。
 自然、この男に向ける視線も、穏やかではいられなかった。
 しかし、彼はピジョン・ブラッドのそんな射殺すような眼が気に入ったらしい。
彼は彼女の名を知る由も無かったが、ピジョン・ブラッドの眼がその名に相応しく、酸素に触れて黒くなる前の鮮やかな(あか)を思い出させるから、尚更に。
そんなとこばかり、重ねるまでもなくそっくりなこの男に、ピジョン・ブラッドは縊り殺してやりたい衝動を感じた。
 結局、ピジョン・ブラッドを一個の存在としてみてくれるのは、『彼』が気に入っていたサファイアだけのようだ、と。
ピジョン・ブラッドは静かにその眼を伏せた。
そして、気分を落ち着かせる為に浅く呼吸を繰り返して、また真正面から黒曜石(オブシディアン)の眼を見据える。


「何て呼べばいい?」
「お前の好きなように呼べよ。」


 ピジョン・ブラッドは煙草に火を付ける彼に向かって、問い掛ける。
応えた反応は、半ば予想していたものと同じであったが、本当はそう応えて欲しくなかった、と。
ピジョン・ブラッドは僅かに眉をしかめる。
 だって彼女には、この男を呼ぶにぴったりの名前を、この世でひとつしか知らない。


「じゃ、(ウォルフ)。」


 眼を伏せた。
彼を別の人に見て、同じ名前を呼んで、本物の彼を想う。
自分は、きっと罪を犯しているのだろう、と。ピジョン・ブラッドは思っていた。
 治りきっていない傷よりも、胸が痛かった。胸よりも心が痛かった。
 眼を開けると、ピジョン・ブラッドを見る彼の黒い眼とぶつかり、また、眼を伏せたくなる。
 『彼』と同じ色の眼で、自分を見るな、と。
口に出して言えたら、きっと楽だったに違いない。
だがピジョン・ブラッドは、見つめてくる目を、見つめ返すことしか知らない。
わずかな動揺を悟られたくなくて、顔にかかってくる髪を掻き揚げた。
 彼はコーヒーの入ったカップに手を触れて、思い直したように押し戻して、ピジョン・ブラッドに問い掛ける。
何故、その名前なのだ、と。何故自分を、(ウォルフ)と呼ぶのか、と。
男はその吸い込まれそうなほど深い黒をした、実は黒真珠よりも明度と透度の強い眼で、そう問いかけてくる。
 この狼は、ピジョン・ブラッドが聞いては欲しくないことばかりを口にする。
動揺と、苛立たしさを込めて、ピジョン・ブラッドは彼を睨んだ。


「僕のよく知っている人と同じ色の眼をしてるから、同じ名前を、貴方に。それに、ウォルフ(あなた)は僕のことを兎って呼ぶ。兎はいつだって(ウォルフ)に狩られるんだよ。」


 食べもしない獲物を嬲るように、この男もまた、自分を乱していくのだろう。
 『彼』と同じ様に。
 それならいっそ今の内に殺してくれればいいのにと、自暴自棄になったピジョン・ブラッドの思考回路が、彼を挑発した。


「――そんなに狩られたいのか?」


 ことさらその挑発に乗るように、彼はピジョン・ブラッドの骨と皮ばかりの手首を掴み、床に引き倒して、咽喉に手を架ける。
 がたがたと椅子が倒れ、傾いたテーブルからコーヒーが入ったままのカップが転がり落ちて、ガシャンと砕ける音が響いた。
 なんて、手際の良さ。
 ピジョン・ブラッド感覚は、自分の冷たくなった首にかかる彼の手と、腹の傷だけを鮮明に読み取っていた。
いつでも殺せるのに殺さない、『彼』と同じ態度。
 彼女の紅い眼から、涙が出そうになった。
何も言わず、彼の眼を見ながら想う。
きっとその手に力を入れなくても、ピジョン・ブラッドの貧弱な身体に体重を掛ければ、すぐにでも腹に負った傷は口を開いて、出血死するに違いない。
 今、男がピジョン・ブラッドの上に乗っているのにそうならないのは、いつでも殺せると暗に言っているからか、それとも意識してかしないでかの優しさなのか。


「――好きにすればいい。」


 酸素を絶たれて掠れた声で、静かに呟く。
 本当に、心からどうでもいいと、ピジョン・ブラッドは思った。
 『彼』が自分を追いかけてこないなら。『彼』がサファイアを追って、自分の元にはラピス・ラズリが来るのなら。
『彼』の手で死ぬことが出来ないなら、せめて『彼』に似ているこの狼に食い殺されてしまえばいいのだ、と、思ったから。
 ピジョン・ブラッドの頭の中は、酷く混乱していた。
 腹に負った傷以上に、割れるような頭痛が走る。
だからそれを振り切るように、肺に残っていた空気を吐き出して。
 自分を引き倒しているこの男に、顔を見られたくなかった。
あの黒い眼には、酷く愉快な姿が映っているに違いない。


「――なら、狩り時になるまでは飼うことにしとくか?」


 ピジョン・ブラッドが思った通り、彼は咽喉の奥を笑わせて言った。
 そのまま彼女の上から離れてゆっくりと立ち上がり、首から手を離す。
 ピジョン・ブラッドは反射的に噎せ返って、大きく一つ咳をした。
だが、立ち上がることは出来ないで床に転がったまま、先に立ち上がった彼を見上げる。


「それっていつかは僕を殺すってこと?」


 どうしてこのまま、今ここで絞め殺してくれなかったのかと思う反面、彼が手を放して明らかに安堵している自分がいた。
そんな、『自分』という存在に嫌悪が込み上げて、まるで八つ当たりのように、締められた感覚が残る首に触れて、彼を睨む。


「好きにしていいんだろう?」


 だが、ピジョン・ブラッドの視線を難無く受け流した彼は、そう応えると楽しそうにニヤリと笑った。






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2008/11/17   再UP




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