Eyes on Me







Act.41 : I thought really seriously

 禁 断 区 





 姉弟同士の恋愛と、出産。
それに伴う公爵令嬢の自殺。
めまぐるしく悲劇に見舞われたアイゼンシュタイン家に、訪れた弔問客は献花と共にあらぬ噂を立てていく。
 まさかそれを認めるわけにもいかず、公式には公爵令嬢は出産などしていなし、自殺も事故と言う形で総てが片づけられた。
幸い妊娠中の彼女は人目に曝される事も無く、過ごしていたから。
 葬儀が終わり、埋葬も済んで、彼の手元に残ったのは彼女の遺髪で作られたジェットと呼ばれるペンダントだった。
綺麗な綺麗な金髪で作られた、百合の花。
彼女が好きだった花が、彼女の生きた痕跡として、彼の手元に残された。
 まだ、事実を事実として受け入れられない彼に、残されたのはこのペンダントと、そして彼女が産み落とした忘れ形見だけ。
 彼はそっとペンダントに口付けてから、それをベビーベッドの中でねむっている子供にかけてやる。
 思えば、生まれてしばらくたつと言うのに、この子にはまだ名前を付けていなかった。
それどころでは無かったのだが、考えてみればあんまりな話である。
今度こそ本当に、何もかも気力を奪われた彼には、彼女との子供しか残っていない。
彼女を愛せなかった分まで、この子を愛し、守らなくては、と、彼は思った。
どうすればいいかなど、何も分からなかったが、この無力な存在には、もう自分しかいないのだ、と、思えば。
気が狂いそうな哀しみと絶望も、少しは紛れるような気がしたから。
 それ以上何も考えられずにその寝顔を見ていると、不意に窓辺から声がかけられた。


「お悔やみ申し上げます。」


 唐突に、有り得ない方向から声がかけられて、彼は視線を向けた。
視界に入ったのは、どう昇って来たのか、テラスの欄干にしゃがみ込み、肩の辺りで揃った黒髪の少女だった。
 本来ならば窓から現れた相手に誰何を問うべきなのだろうが、止まった思考ではそんなことすら無意味に思えた。
 ごく当然のように部屋の中に入り、窓から現れた少女は悪戯な笑みを浮べる。


「すぐに済むから、見逃してくれよ?」


 にやりと不敵に笑った少女はしなやかな猫のような足取りで欄干から降り、足音も無く部屋に入ると、彼の向かい側にまわり、次の瞬間にはベビーベッドに横たわる子供に、刃を立てようと振り下ろした。


「っ!」


 咄嗟のことに、彼は声を出すより先に子供を抱き上げた。
殆ど反射神経による行動であったが、上出来と言うべき速度だった。
 無人となったベッドに短剣を突き立てた少女は、邪魔されたことにいたく傷つけられたような表情になった。


「見逃してくれって言ったじゃんか。」


 あまりに悪びれない姿に、彼は子供を抱き抱えたまま何と言っていいのか分からない。


「どうして、この子を、殺そうとするんだ?」


 やっとのことで、それだけ問い掛ける。
少女は、明かりの当たり具合によって時々金色のように見える、濃い青の目をきらきらさせて、答えた。


「決まってる、仕事だからさ。」


 年相応には見えない歪んだ笑みを浮べて、少女は短剣を放り出してソファーに寝転がった。
「でも、失敗しちゃったな」と続けながら。


「仕事?」
「そう、あんたの親父さんから。俺、初仕事だったのになぁ。」
「何だって?」


 悪びれもせずに応えた声に、彼は唖然とした。
思わず問い返した僕に、少女は面白そうに笑いながらわざとらしく首を傾げる。


「お前、聞いてなかったのか?それとも頭が悪いのか?」


 馬鹿にした言いように、いちいち応える気にはなれなかった。
眉だけしかめて不愉快を示せば、少女は肩をすくめて続けた。


「つまりこういうことさ。世間体を気にした公爵は子供なんて最初からいないと言うことにした。治療しようと思っていた娘も死んだ。お前がこの家を出なきゃならない理由も無くなり、体よく追っ払おうとした子供を生かしておく理由が無くなった。そんなトコだろ?」


 頭がくらくらするような理由だ。
思わずよろめいた彼に、彼女は言った。


「お前、知らないのか?この家と俺達とは、昔っからこういうやりとりしてんじゃねぇか。」
「何だって?」


 先ほどと、同じ言葉を返してしまった。
しかし、聞き流せない言葉に、思わず子供を抱く手に力がこもる。


「こういうことさ。合法的に出来ることはこの家が、非合法のことは俺達が。それだけだ。」
「非合法?」
「暗殺とか、密売とか、そんなやつ?だっけ、うちの組織(トコ)じゃ幹部のお偉いさんだろ、お前の親父。だから恨んでくれるなよな?おれは仕事をしなきゃクビなんだ。初仕事から失敗したくないんだよ。」


 ニヤリと笑う少女の表情に、疑う余地は無かった。
というよりは、彼女は彼に嘘を言うことのメリットが無かった、と判断したほうが正しいかもしれない。
 彼は父親の裏の顔に驚く暇も無く、急激に感情が冷めていくのを感じた。


「お前、名前は?」


 問い掛ける声は、底冷えするような低い音程だった。
だが、地面を這うようなその声にも、少女は動じることなくその辺に放り投げた短剣に手を伸ばしながら応える。


「適当に呼べよ。殺し屋はむやみに名前なんか明かさないぜ?」
「それじゃあ、ラピス・ラズリ。」
「うわ、御大層な名前。」


 茶化すように言う少女の声を完全に無視して、彼は子供をベビーベッドに寝かせながら言った。
綺麗なナイフに舌を這わせる姿は、とても子供のする行為ではないが、ラピス・ラズリと呼ばれたその目は、その名の通り時々反射する金の光彩がその行為を不思議と馴染ませていた。


「お前の後見には僕が着いてやる。だからこの子の代わりに父と母を殺せ。」


 無表情にさらりと言った彼の言葉に、彼女は一瞬面食らったような表情を見せた。
ぶらぶらと遊ばせていた足も、飴でも舐めるような感覚で舌を這わせていたナイフも、思わず止まっていた。


「金は倍額出す。」


 彼は淡々とした口調で、さらに続ける。
 我ながら、冷酷だ、とは、彼は思わなかった。
『アイゼンシュタイン公爵』という表の顔と、裏の組織の幹部としての顔を持つ父の血を、確かに引いているのだと、笑えない自覚まで浮かんだ。


「――んー、俺はそのお前の親父から、依頼を受けてんだぜ?」
「その父が死ねば、僕が公爵家の当主だ。自動的に、僕は君に依頼を与える側の人間になる。昔から繋がりがあると言う事は、つまりそういう事だろう?」


 あまり頭がいいとはいえない様子の少女は、少し考えるそぶりをしてから少し迷った様子でつぶやいた。
それを彼は、事務処理をするかのような感覚で返す。
笑いもせず、淡々と言ってのける物言いに、少女は笑った。


「随分と憎んでるのな。自分の親父なのによ。」
「孫を殺そうとする祖父がいるんだ。父親を殺そうとする息子がいたって不思議はない。」
「だからって母親まで同罪かよ。」
「悪いか?」
「いや。気に入ったぜ、お前。受けてやるよ、依頼。ほかのお偉いさんんとこまで連れて行ってやってもいいぜ。退屈しなくて済みそうだし、あんたは親父と違って役に立ちそうだ。」


 物騒な笑みを見せて少女は短剣を手にしたまま、再び獲物を狙って窓から出ようとした。
しなやかで危険な猫科の動物のように、少女は無駄の無い動きで再びテラスの欄干の上に立つ。


「実を言えば、今日はお前に親父以外の偉いさんからの依頼も受けてたんだ。」


 相変わらず年相応には見えない物騒な笑みを浮べて、黒髪に褐色の肌をした少女は言う。
落ちれば、かつての彼の恋人であり、姉のエヴァと同じ運命を辿るというのに、少女の足取りには恐怖も迷いも何も無かった。


「次のご当主が見込みのある奴か見てこいってよ。」


 それを冷ややかな視線で見送って、彼は何も知らずに眠る自分の子供を見ながら応えた。
安らかな寝顔は、母親の死も、父親の罪も、侵入者と交わされる物騒な契約も、何一つ知らないまま、穢れが無い。
 だが、その無垢な顔を見ても、もう彼は、感情の総てが凍り付いたように、何も感じなかった。


「それで?お前の目には僕はどう見える?」
「俺は気に入ったぜ?じゃなきゃ、お前の依頼は受けないし、その赤ん坊を殺すのにわざわざ姿を見せるかよ。近いうちに、お前の親父の名前は裏から消えるだろうな。世代交代に、お前には別の名前がまわってくんよ。アイゼンシュタインも、終わりだな?」


 彼の氷点下の視線を物騒で可愛らしい笑みで受け流して、少女は欄干の上で片足を上げる。
もともと危なげない足取りだったが、ナイフを手にしたまま両手を広げて、少女はバランスを取るようにして一歩二歩と欄干の上を歩き出した。


「なぁ、おまえ」


 テラスの外側から聞こえてくる少女の声に、彼は顔だけを向けて応じると、もう姿が見えなくなった少女は、好奇心と敵意を含んだ声で、彼に問い掛けた。
 表情など、見えなくても手に取るように分かる。


「ほんとは姉さん愛してたんだろ?」


 おそらくは試すような笑みを浮かべているであろう、少女に、彼はわずかに眉をひそめた。
不躾な質問に、口元が歪む。
きっと彼は自分も笑っているのだろうな、と、思った。
もう良心の呵責も、罪悪感もなかった。
彼女を切り捨てた時の胸の痛みも、呼吸が出来無くなるほどの苦しさも無い。
ごく冷淡に、応えた。


「まさか。僕は彼女を利用したんだよ。」


 安らかに眠っている子供の顔に、優しいキスを落とす。
言い聞かせるような、仮初めの愛情。
この子供には、どこまで注ぐことが出来るだろうかと、考えながら。


「君の命も、有効活用させてもらうよ。ねぇ、ジザベル?」


 部屋の中からでは死角になっている場所で、少女がにやりと笑ったのが見えたような気がした。
もちろん、その笑みが何を言わんとしていたのか、彼にだって分かっている。


「お前、本当にどうしようもねぇのな。」
「それは、ほめ言葉として取っておくとするよ。」


 もう見えなくなったテラスの向こう側で、少女が見躍らせる影だけが、彼の視界を掠めていった。






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2008/10/31   再UP




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