Eyes on Me







Act.32 : In the richly why the world began

 禁 断 区 





 彼は、彼女を心から愛してた。
他の何を失っても、彼女だけが自分の傍にいてくれれば。
彼の世界はそれで総てが完結されていたのに。
 彼女は由緒正しき公爵家の娘。
彼はその当主の後妻の連れ子。
それでも彼女は彼を愛してくれた。
心から。


「子供が出来たんです。」


 それはとても自然な成り行きだった。
特別若い年齢でも、互いに結婚しているわけでもない。
彼の言葉に、彼の母親と義父は揃って顔を驚きに歪ませた。
彼は彼女、エヴァと二人で、それを見やる。
 驚くと予想はしていたから、してやったり、と思わなかった訳ではないが、ここまで驚かれると、何か悪いことをしたような気になる。


「驚いた?」


 エヴァはうっかり紅茶をカップごと落としかねないほど硬直した義母と父親を見て、楽しそうに笑う。
緩く癖のついた、ふわふわしている金色の髪に囲まれて、幸せそうに微笑む顔。
 彼も思わず笑みを零した。
自分がこれ程幸せを実感出来る日が来るとは、正直思ってもいなかった。


「お前たちっ!」
「お父様」


 父親が何か言いかけるのをエヴァが制して、彼女は親の苦情より先に宣戦布告を言い渡した。


「分かっているわ。私達姉弟ですもの。だけど、ウォルフはお様の連れ子なのでしょう?問題なんて無いわ。公爵家の娘がどうのと指を差されると言うのなら、体面を保つ為に家を放り出してくれて構わないから。」


 昨夜、今日のこの瞬間の為に彼を相手に練習したセリフを、彼女は一字一句間違えずに言い渡す。
幸せそうに抱く腹は、まだ殆ど目立っていない。
 何よりも大事なことだから、と。
彼も表情を改めて面と向かって義父に言った。


「アイゼンシュタイン公。僕たちは本気なんです。僕たちはまだ二十歳にもならない未熟者ですが、ご存知の通り、僕は生命工学の分野ではある程度確立された研究者です。少なくとも、この家の後ろ盾が無ければ生きていけないような人間じゃない。彼女を不幸にはしません。どうか、子供を産むことを許して下さい。」


 彼女のように練習した訳ではないが、彼は澱み無くそう告げる。
それは、事実と自覚からなる自信だった。
だが、彼のその決意は、殆ど間を置かずに叫んだ彼の母親の声に掻き消された。


「駄目よ!」


 許しを得られなかったことよりも、その尋常ではない声に、彼と彼女は驚く。


「駄目よ!子供なんて、絶対に駄目!そんなこと、神様がお許しになるはずが無い。」


 蒼白な顔で両腕を抱き、叫んでいる母親の姿に背筋が凍る。
 ある程度の反対は予想のうちだったが、この反応は明らかに異常だ。
彼に取って母親は、良き母親だった。
父親がいないにもかかわらず、立派に育て上げ、愛情を注いでくれた。
子供が、好きなのだ。この母親は。
だから彼は、驚きはしても、きっと孫の存在を喜んでくれると思ったのに。


「母さん、何をそんなに怯えているの?」


 どう声をかけたらいいのか、迷った揚げ句、彼は酷く困惑した表情で母親に問いかけた。
だが、彼以上に恐慌状態になっている母親が答えられるわけもなく、代わりに応えたのは彼の義父の方だった。


「落ち着きなさい。」


 わずかに震えを押し殺したような義父が低い声を押し出し、母の肩を支えてやる。


「お父様……」


 どうしたものかと声をかけるエヴァに、義父はそのまま彼らに背を向けて言った。


「お前たちも馬鹿なことを言うんじゃない。姉弟同士で子供だと?すぐに堕胎させなさい。人の道に反することだぞ。」


 予想だにしていなかった言葉で貫かれて、彼は一瞬、耳を疑った。
それまで、彼は義父を聡明で理解のある人だと信じていたのに、まさかそんな人からそんな言葉を聞く羽目になろうとは。
驚愕もさることながら、一瞬で沸点にまで達した感情を、彼はどうにか飲み込もうとしながら答える。


「お言葉ですが公、僕はもう父親なんです。名前も姿も無くても、子供がエヴァのお腹の中にいる以上、僕はその子の父親なんです。子供を殺せといわれて、はいそうですかというわけにはいきません。」


 そう、自分達は、許可を求めている訳では無い。
これは、報告なのだ。
許されなければ、二人だけで生きていく覚悟を決めて、望んだのだから。


「黙れ。」


 だが、底冷えするような低く簡潔な一言で両断されて、彼は思わず黙ってしまった。
義父の様子が、普段からはあまりにかけはなれた様子だったから。
優柔不断と言われても仕方ないのかもしれない。
結局そのとき、彼と彼女は両親に言われるままに、その場を退くしかなかった。






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2008/09/26   再UP




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