Eyes on Me







Act.26 : Like a chain joining your life together

 保 護 区 





「サファイア。今日は狩りに行くよ。君にも獲物をからせてあげよう。」


 唐突に彼の声がかかったのは、晴れた日の朝だった。
拒否権の無いお誘いに、サファイアは短く頷く。
 しっかりアイロンがかかったシャツでは動きにくいからと思って着替え始めると、彼は少し笑ったようだった。
 無言のまま部屋の中に入り、サファイアに近づいて、上半身裸の肩をに腕を絡ませて、髪にキスをしてくる。


「博士、くすぐったい……」


 サファイアは身を捩って逃げようとしたが、無駄な抵抗だった。


「サファイア、狩りは始めてだっけ?」


 耳元で囁く声は優しくて心地がいい。
だけどサファイアの体は無意識に竦む。
意識ではなく無意識に刻まれた恐怖感は、容易には克服出来るものではない。


「はい。何を狩るんですか?」


 気持ちのいいような感覚と、怖いような感情と。
相反する二つの気分を強引に宥めながら、サファイアは彼に問い掛けた。


「何が狩れるだろうねぇ。」


 楽しそうに笑う声が、サファイアの神経を寒くさせる。
彼は、本当に狩りを楽しむだけかもしれないのだけれど。
だけどサファイアはそうは思えない。
 何処か心がざわつく感じがして、サファイアはまた少し身をよじった。
きっとそれは、彼の笑顔がサファイアにとって、深刻なトラウマとなっている記憶と常に隣り合わせだからのだろうけど。
 狩場はごく近くにある。
庭の片隅とでも言うのだろうか。
サファイアが彼の屋敷を外から見たのは、これが始めてだったが、窓の外に広がる光景はいつも眺めていたので大して驚かくものでもなかった。
 見渡す限り他に家など無いなも、見える範囲が彼の庭だというのなら納得がいく。
 一緒に狩りに行ったのは、彼がラピス・ラズリと呼んでいる女と、車椅子に座った大柄のご老人、それからそのお付きの人達。
 サファイアは彼の背中に隠れるようにして、三人の狩を見ていた。
 兎や鳥が、弾一発で次々と殺されていく。
無力で無意味な存在が、そこらじゅう、空気まで紅く染めているようだ。
生臭い鉄の匂いが酸素を濁していて、サファイアは気を抜けば吐いてしまいそうになる。


「――博士……。」


 助けを求めるように、小さく呼ぶ。
ライフルを持った彼は一瞬だけサファイアの蒼くなった顔に驚いたが、屋敷に返すつもりはさらさら無いようだった。
 いつから自分は、こんなに彼のお気に入りになったのだろう、と。
サファイアの脳裏に、そんな疑問が浮かぶ。


「さぁ、サファイア。次は君が狩ってごらん。確かに狩りは見ているだけだと気分がいい物じゃないからね。」


 肩にかけていたライフルを降ろして、彼はそれをサファイアの手に渡した。


「あそこの茂みがいいかな?動いているだろう?何か大きな獲物がいる。」


 言うがまま、成されるがままに、サファイアは彼の指す方を見やる。
確かに三十メートルほど先には、サファイアの腰ほどの高さの茂みがあって、風も無いのに動いている。
 イキモノの姿自体は見えなかったが、明らかに茂みの動きは向こう側に居る生命反応を示していた。


「狙って。」


 言葉通りに、ライフルに付いている望遠でピタリと照準を合わせる。


「肩と腕で狙いが外れない様に固定するんだ。」


 心臓が大きく鼓動を走らせている。
頭がガンガンするくらいの緊張感に、すぐにでも逃げ出したいような衝動に駆られた。
だけど彼は、サファイアの身体症状を察してはくれても、考慮することは無い。


「いいよ。撃って。」


 ごく静かな口調で言われて、サファイアは言葉通り引き金を引いた。
耳の中で鼓膜を裂くような音が反響し、発砲の衝撃で体が後ろに吹っ飛ぶ。
尻餅を付くように背中から倒れたたサファイアを、彼が体ごと受け止める。
 二人して地面に倒れ込んで、彼は笑った。


「狙いは良かったみたいだね。でも、次は足元も踏ん張らないと。」


 苦笑した彼は、サファイアを自分の腕に閉じ込めて続ける。


「大丈夫かい?」
「はい。」


 ようやくそれだけ答えて、サファイアは嫌な汗で張り付いた髪の毛を、憔悴しきった様子で掻き揚げる。
 思った以上に緊張していたのか、額は汗でびっしょりだった。
視線をさっきと同じ方へ向けると、茂みは鮮血に紅く染まっていて、もうぴくりとも動く気配がない。
 どんなイキモノを撃ったのか分からないが、自分がその命を奪ったと思うと、酷く気持ちが悪かった。


「博士、僕は何を撃ったの?」


 酷く乱れた呼吸に肩で息をしながら、サファイアはまだ彼の腕の中から立ち上がることも出来ないままで問い掛けた。


「何だろうねぇ。」


 含むような笑い声で彼が答える。
それは、言葉に反してその獲物がなんであるかを知っているような、そしてまだ狩りは終わっていないのだと、知っているような、そんな口調で。


「すぐに分かるよ。」


 実際その通りだった。
車椅子の老人の、付き人らしい男が、無言で紅く染まった茂みに入り、サファイアが殺した獲物を持ち上げた。
 最初に、サファイアが思ったのは、ずいぶんと大きな獲物だということ。
それは、自分に比べて。
 次に思ったことは、凄く小さい、ということ。
それを持ち上げた、男に比べて。
 酷く不自然な体勢を持ち上げられたそのイキモノは、鮮血に塗れて真っ赤だった。
それと相反するように、さらさら流れるような銀色がきらきらして綺麗だった。
紅を纏うことはあっても、決して支配されることはない、緩やかな銀髪は。
サファイアのもう一人の妹と同じ色の髪を持ったその存在は。
 何を撃ったのか気付いた瞬間にはもう、サファイアは叫んでいた。


「ローズ!」


 同時に駆け出そうとしたが、だけどサファイアの身体は前になど動けなかった。
立ち上がることさえ、出来なかった。
彼がサファイアの体を背後から抱きしめて離さなかったから。


「凄いよサファイア。大物を仕留めたね。」


 優しくて穏やかな声。
それがまるで侵食していくように、ゆるゆると聴覚からサファイアを蝕んだ。


「僕だって初めての狩りはこんな獲物は無理だった。」


 神経をも凍り付くような甘い囁き。
 蒼い眼から零れた涙に溶けるように、体中を這う血管に溶けるように。
彼はサファイアを甘い睦言と残酷な現実の両側面から支配しようとしていた。
だが、サファイアにはもう、その声も届かない。


「ローズ!ローズ!」


 サファイアはひたすら叫び続ける。
彼の腕の中を、もがき続ける。 頭の中が考えることと認めることを拒否していた。
 ローズ・クォーツのもとへ駆け寄ろうともがくサファイアを、彼は信じられないくらいの力で押さえつけていた。


「君の狩った獲物だよ。」


 その言葉に、サファイアは大きく息を吐き捨てて呆然と我を失った。


「すいぶんと悪趣味なことをする。」
「そうかな?楽しんで頂けると思ったんだけど。」


 背後で会話する声が聞こえる。
その会話に、サファイアは殆ど無意識のうちに言葉を発していた。


「楽しむ、為に、ローズを、殺したの?」


 それ以上は声が出せなかった。
 すぐには答えようとしない彼を、サファイアは緩慢な動作で振り返り、肩越しに見やった。
彼はいつもと同じ表情で、声を押し殺して笑っていた。


「違うよサファイア。ローズ・クォーツを殺したのは僕じゃなくて君だ。」


 冷酷な言葉が見えない矢となってサファイアを貫く。
 どさりと重い音がして、反射的に視線を正面に戻す。
 目の前に転がされたのは、とっくに絶息したサファイアの妹、ローズ・クォーツ。
サファイアは無意識に手を伸ばしたけれど、届かなかった。
 彼はサファイアを抱きしめたまま、サファイアの酷く癖のある髪に顔を押し付けて笑っている。
 サファイアは目の前に、最早ただの残骸となったローズ・クォーツから目が離せなかった。
 小さな胸の真ん中に大きく開いた風穴。
向こう側の景色が見えた。


「随分醜く壊れたな。これだから銃は嫌いなんだよ。刃物だったらもっと綺麗な死体になったのに。」


 こつんと、爪先でラピス・ラズリがローズ・クォーツをこずく。
サファイアはその光景が、まるで銀幕かなにかの向こう側の遠い世界であるように、だけど否定のしようもない厳然たる現実であることを理解していたから。
そこから動けないまま、気が遠くなるのを感じた。


「うあぁぁぁぁーーーーーっ!」


 叫んだ声が自分のモノだとも気付かないくらいに、信じられなかった。
いっそ発狂して暴れ出したりしたのなら、この手で持っているライフルで博士を撃つことも出来たのに、と。
そう思うくらいの冷静さも、ほんの少しだけ、彼に侵食された身体の何処かには、残っていて欲しかった。






<<  Return  | Menu |  Next  >>



2008/09/06   再UP




Copyright (C) 2008 Good-bye, Dear My Little Lover Some Rights Reserved.





 
inserted by FC2 system