Eyes on Me







Act.23 : Your heart is wandering by the illusion

 保 護 区 





 あれから何年経ったのか、サファイアには判断がつかない。
ピジョン.ブラッドが生まれてから、彼は他の宝石たちの成長には、何の関心も無くなってしまった。
だからサファイアの時間は動いていない。
 あるいは、今までの成長の速度と本来の成長の速度のあまりの違いに、実感が伴わなかっただけかも知れないし、今まで薬によって成長し続けていた身体は、自ら成長する術を忘れてしまっていたのかもしれない。
サファイアは、少なくとも外面的には何一つ変わっていないし、内面的には変わったと比べられる物さえない。
 サファイアにとって時間の経過とは、妹のピジョン・ブラッドの成長だけが唯一の証というるものだった。
ピジョン・ブラッドはもう、とうにサファイアを通り越していて、あの時のジザベルと殆ど変わらない程に成長していた。
 サファイアは大きすぎるベッドから這い出して、のろのろと着替える。
それからこっそり部屋を出て、奥まった場所にある扉を、ひっそりと叩く。


「ローズ、入るよ。」
「――おにいちゃん……」


 囁くように言って、返事が返される前に部屋に入ると、サファイアの部屋よりひとまわりほど小さな部屋の中でようやく声が返ってきた。
 掠れるようなか細い声。
 彼の反対を押しきって強引に覚醒させた、サファイアのもう一人の妹が、サファイアを呼んだ。


「ローズ・クォーツ、気分は大丈夫?」


 無言のまま頷いて、ローズ・クォーツはサファイアに腕を伸ばす。
それは甘えるというよりは、習慣化した行為の一つであり、そして彼女はそうする以外の方法を知らなかった。
 サファイアはそれを受けて、盲目の妹の上体を起して彼女を着替えをさせる。
ローズ・クォーツ自身も、何となく感覚でやろうとするが、それでもサファイアが手を出そうとしてしまうのは、サファイア自身がそうせずにはいられなかったのかもしれない。
 ふわふわと、緩い癖のかかった髪の色は、プラチナブロンドは、ピジョン・ブラッドと良く似ていた。
だけどその眼はちっとも似ていない。
 ピジョン・ブラッドの鮮やかな色に対して、ローズ・クォーツは薄ピンクに濁るばかりで。
 言いようの無い気持ち悪さが込み上げて、サファイアは自分の咽喉の奥が干上がっていく気がした。
口の中で、わずかに鉄の味がする。
どこか、切ったのかもしれない。
 サファイアの微妙な変化に、眼には頼らず感覚で気付いたローズ・クォーツが、不安そうな表情を見せた。


「サファイアおにいちゃん?」


 開かれた薄ピンクのミルクに濁った眼から、サファイアは逃げるように視線を外した。
その眼がサファイアを映しているはずも無いのに。


 『ジザベルは死んだんだよ。だから出来損ないを出す必要はないんじゃないかな。』


 唐突に脳裏に甦ったのは、ジザベルが望んでいたローズ・クォーツの覚醒を、サファイアが彼に口にした時の返事だった。


『だけどジザは約束しました。それにローズ・クォーツはジザベルの出産祝いなんでしょう?ジザは約束通りピジョンを生んだのに、博士は約束を破るんですか?』


 彼に意見することが、どれだけ勇気のいることなのか、サファイアは改めて身をもって思い知らされた。
足と声がガクガク震えていたから。
 彼はそんなサファイアを見て、きっと面白がっていたのだろう。
今ならサファイアにもそれがよく分かる。
 だって彼の口調はいつもと変わりなく優しかったのだから。


『死んだ人との約束は無効だよ、サファイア。それに、僕は君と約束したわけじゃ無い。』
『それじゃあローズはどうなるの?ずっと水槽の中で生きていかなきゃいけないの?そんなの可哀相だよ』


 泣きそうになったサファイアを、彼は優しく抱き寄せて、額にキスを落としながら言った。


『ああ、サファイア。君は優しいんだね。それじゃあ苦しくないように、ローズの水槽のコードをちょん切ってしまおうか?』
『やめて!』


 今度こそ本当に泣き出したサファイアを見て、彼は本当に楽しそうに笑う。


『冗談だよ、サファイア。僕が本当にそんなことすると思うのかい?』


 エメラルドの死体を眼にして、アメジストとジザベルを殺したばかりだというのに、彼は虫も殺さぬような顔をして言う。
 サファイアはどんどん歯止めが効かなくなる彼の狂気に戦慄を覚えて、彼の腕に抱かれたまま声を返せなかった。


『分かったよ、サファイア。君の好きにするといい。ただし、妹の世話は君がするんだよ。』


 そう言ってサファイアの蒼い眼に残る涙を舐めて、彼は笑っていた。
ジザベルを殺し、ピジョン・ブラッドを子宮から取り上げた時と同じ笑顔だった。
 サファイアの背筋が凍り、身体が一瞬震える。


「おにいちゃん」


 不意にかけられた、決して大きくはないローズ・クォーツの声が、サファイアを早すぎる白昼夢から引き戻した。


「ローズ……」


 名前を呼ぶことしか出来ないサファイアに、ローズ・クォーツはおっとりと笑いかける。
サファイアの姿はおろか、自分自身の姿さえ見ることの出来ないローズ・クォーツは、それでも敏感にその気配を読んで、サファイアを気遣ったのだ。
それがとても哀しくて、サファイアはローズ・クォーツを抱きしめた。






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2008/08/25   再UP




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