Eyes on Me







Act.20 : By the singing voice that does not become the voice

 解 放 区 





 力無く床に沈みこんだジザベルの顔に、また新たな体温を残した生臭い液体が振り掛かる。
まるで拒否することを拒否されたように、黒真珠(ブラックパール)の眼を開けば、まるでその瞬間を狙ったかのように鮮血が飛び込んで、ジザベルの視界を紅く染めた。
 どくん、どくん、と。
自分の心臓が大きく鳴り、それに答えるように別の場所から別の鼓動を感じて。
ジザベルは自分がまだ生きていることを知る。


 「――あ……れ……?」


 ジザベルよりも、さらに呆然とした様子で、誰よりも先に声を発したのは、アメジストだった。
 彼女はジザベルに突き刺さる直前で止めたナイフから、左手だけを離して胸に当てる。
少し触って、濡れた感触に怯えたように眼を見開き、そして風穴を探る。


「どうして……?」


 その言葉の中にあったのは、痛みの在り処ではなく、ただただ純粋な疑問ばかりで。
 胸元から手を離したアメジストは、真っ赤に染まった手を前に眼を大きく見開いた。
そこから零れ落ちた涙は、きっと一瞬にして悟った絶望が凝縮されたもので。
 彼女は分かってしまったから。
自分のこの行動が、彼の怒りを買ったことを。
だけど彼女は分からなかったから。
どうして自分のこの行動が、彼の怒りを買ったのか。
 乾いた音がして、もう一つアメジストの白い胸に紅い花が咲き、飛び散った花弁がジザベルの頬を濡らした。
ぐらりと傾いだ体から力が抜けて、アメジストの手から零れ落ちたナイフは、鈍い音を立てて血溜まりの中に落ちた。


「博士!」


 悲鳴に近い声で叫んだサファイアの声が二人の鼓膜を叩き、ジザベルとアメジストが緩慢な動作で扉の方を見る。
 二人が異なる色の眼で視界に映したその姿は、無造作に銃を構えた彼の姿。


「――パパ……どうして……?」


 ボロボロと涙を零して、アメジストが呟く。
痛覚を無くした身体なのに、痛覚だけが取り残された心は、痛みに耐え切れずに涙を溢れさせる。
 だが彼は、それには微塵も応じる気配を見せずに、ジザベルの元へ駆け寄った。


「ああ、ジザ!なんて酷い!大丈夫かい?」


 途中突き飛ばされたアメジストが、支える力を失った身体が、踊るように不自然に傾いで羊水と血液に汚れた床に倒れ込む。


「パパぁ……パ……パ……」


 横に転がったアメジストが、掠れた言葉と共に血液を吐く。血と涙に、震えた声は、懸命にただ一人を呼び続けたが、その声はアメジストが望むようには届かなかった。


「うるさい。」


 一言のもとに両断して、彼はジザベルに倒れ込んだまま絶命したエメラルドの死体を、無造作に剥ぎ取って床に転がし、ジザベルを抱きしめた。
エメラルドがジザベルを守ったことなど、まるで関係無いというかのような、ぞんざいな扱いで。


「こんなに傷ついて、破水までして。すぐに帝王切開をしないと。」


 彼の言葉に耳鳴りが酷く重なってくる。
 彼に窮地を救われたことで思考回路が安堵したのか、それともただ単に状況についていくことが出来ないだけなのか、ジザベルはそのまま言葉も無く彼に凭れてしまった。
 とにかく今はそれどころではないのに。
破水を起こした子宮は急激に収縮を繰り返し、陣痛の痛みがジザベルを襲ってきたから。
 今まで、厳密な管理の下に胎児(ルビー)を育ててきた彼が、ジザベルの急激な変化を快く思うはずも無く、彼は酷くイラついた様子で手にしていた銃を握り直した。


「まったく君にはうんざりだ。」


 その言葉が誰に向けられているか知った瞬間、ジザベルはやめてと叫びかけた。
だけど思ったことを口にすることが出来ず、結局ジザベルに出来たのはがくがくと震える手で彼の服に縋っていた手にわずかな力を込めた程度にすぎない。


「博士、やめて!」


 ジザベルと同じことを叫んだのは扉に縋って立ち尽くしていたサファイアだった。
それを無視して放たれた一発は、計算し尽くされた正確さでアメジストの眉間を貫いた。
 その一発で、倒れたまま声も無く浅い呼吸を繰り返していたアメジストは、確かに死んだと言うのに、それだけでは飽き足らず、彼は何度も何度も繰り返して引き金を引く。


「アメジスト!」


 悲鳴のような声でサファイアが叫んだのと、彼の銃から弾が無くなったのはほぼ同時で。
サファイアは反射的に、死体になることを強要されたアメジストに駆け寄ろうとしたが、それは彼の一言によっていとも簡単に阻止されてしまった。


「放っておきなさい。」


 たったそれだけの冷酷な一言に阻まれて、水面を打ったようにサファイアは止まってしまった。
 怯えた瞳が彼を捕らえ、へなへなとその場に座り込む。
彼は表情と口調を和らげて、サファイアに微笑んだ。


「いい子だね、サファイア。君はアメジストやエメラルドに構っている暇はないんだ。ジザベルがルビーを生むから、その手伝いをしてくれないかな?」


 それは、数十秒前に一つの命を執拗なまでに終わらせた人間と同じ人間から生まれた笑みだなどと、とても思えるものではなくて。
 拒否権を許さない言葉に、声も出せないサファイアが力無く頷くのを、同じく声を出すことさえ出来なくなったジザベルの視界が捕らえた。






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2008/08/15   再UP




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