Eyes on Me







Act.19 : A blessing from sinful God

 解 放 区 





 大いなる厄災を迎えたのは、本当に突然だった。
予期していなかったといって罪を彼女一人に擦り付ける気はジザベルには無いし、形はどうであれ、いつかこうなるだろうと思っていて、ジザベルがそれを止めようとしなかったのも事実だ。


「ジザベルにプレゼントだよ。」


 いつものようにソファーに座っていたジザベルの前に立ち、怖いくらいに綺麗で危険な微笑みを浮べながら、アメジストが吐き捨てるように言い放つ。
同時に繰り出されたのは、刃渡り二十センチ程度のナイフだった。
 そんなものを、何処から持ってきたのだろう、と。
ジザベルは目の前の状況をどこか他人事のように傍観しながらアメジストを見上げた。
そしてその一瞬後には、聞きなれない音と、馴染みの無い感触が腕のあたりに感じて。
 切られたと実感したのは、痛みを感じたから出はなく、乱暴に振り払ったアメジストのナイフからジザベル自身の血液が滴ったって、彼女や床やサファイアの頬に模様を描いたからだ。


「駄目っ!」
「ウルサイ!」


 同じくいつも通りジザベルの横に座っていたサファイアが、アメジストのナイフを止めようと飛びつく。
体格の差のせいもあって、いとも簡単にサファイアは床に転がされてしまった。
 自分の力ではどうにもならないと悟り、涙目で部屋から飛び出していくサファイアを見ながら、ジザベルは無感動に「逃げ延びてくれれば」と思う。


「私以外は要らないから。みんな要らないから。」


 完全に精神の箍が外れたアメジストはぞっとするような声でナイフを構える。
そして、振り上げ、振りかざし、振り下ろせば。
 今度は痛みではなく、ジザベルの腕を焼け付くような熱を感じた。
左右にナイフを振りまわす度に、床や壁に紅い斑点模様が描かれていく。
 殆ど我を無くしてただナイフを振りかざすアメジストに、無意識に大きな腹を庇ったのは、母性本能だろうかと、ジザベルは栓も無いことを考えた。
切られた部分からは血が流れ出していたが、痛みは感じなかった。


「大嫌いよ。」


 ドライアイスのように、呼吸も出来ないほどの冷たい空気を吐き出しながら、なのに触れれば焼け付くような熱を灯して、アメジストが死刑の宣告をする。
やはり他人事のように、それを聞きながらジザベルはどこかぼんやりと「死ねない」と思った。
ジザベルの死刑執行人は、彼女ではなく彼であるということを、ジザベル自身が知っていたからだ。
 だけど彼女の思いは、アメジストも例外じゃなく自分達と同じ彼の玩具であるということを確認しただけにすぎない。
ジザベルや、宝石を抱えた子供達にとっては、彼が神様で、彼が法律で、彼が裁判官で、彼が死刑執行人で、そして彼が総てで。
 だから自分達は、彼のモノ、なのだ。
 切り付けられて感覚の無くなった腕をだらりと落として、ジザベルはアメジストを見上げる。
自分一人の身さえ守れないジザベルが、彼女に対して哀れみの視線を向けることは間違ったことなのかもしれない。
それでも、ジザベルは彼女を見つめずにはいられなかった。
 可哀相なアメジスト、と。
きっと彼女は『可哀相』という言葉の意味さえ知らなかっただろうけれど。
無防備になったジザベルに、アメジストは躊躇いも無くナイフを突き出した。
短く的確な衝撃に、後ろへ倒れて息が詰まる。
 倒れた瞬間に、ごほっと短く咳をせずにいられなかったのは、息が詰まっただけではなかっただろう。
鼻をつく生温い血液の臭気に、吐き気がした。
水とは違うどこか粘着質な何かに濡れた感覚は、酷い不快感を迫り上げた。
 だけど、それでも痛みは感じない。


「――っ!」


 ごく近くで、大きく息を吐き出し、声にならない声を聞いて、ジザベルはゆるりと眼を開いた。
予想に反してその黒い視界に入った光景は。


「こんなことをしてはいけない。」


 ついこの間話したばかりのテノールの声を聞いて、ジザベルはようやく、刺されたのが自分ではないことに気がついた。
次いで自分の体を濡らした液体が、血液だけではないことを知った。
 破水した。


「どうしてジザを庇うの?」


 眼下に映るその光景を、まるで理解できないと言うように、アメジストが首を傾げてエメラルドに呟く。
糸が切れてどう動けばいいのか分からなくなった人形のように、ただ立ち尽くすアメジストの姿を、エメラルドは酷く緩慢な動作で見上げた。


「……お前は、こんなことをするべきじゃない。」


 胸に突き立ったナイフを抜き、エメラルドがうめくように呟く。
 寡黙な彼はそれ以上一言も発することなく、永遠に沈黙の淵に身を投じていた。
浅い呼吸を何度か繰り返し、がっくりと膝をついて、ジザベルを庇うように。
背を預けるように崩れ落ちる。
 破水して広がった羊水と、エメラルドから今も流れ出ている血液が入り交じった紅い水溜まりの中で、ジザベルは彼の体を抱えたまま動けなかった。
 それを見下すような冷ややかな視線で睨み付けながら、彼女は言う。


「エメラルドが死んだのも、ジザの所為だよ。」


 動かなくなったエメラルドの手から再びナイフを取って、それについた紅い血を眺める。
ナイフを抜いた体からは、栓が抜けたようにエメラルドの血液が流れ出して。
 深い鉄の味に、ジザベルはまた硬く眼を閉じた。


「紅い眼の子を生もうとした、ジザの所為。」


 うわ言のように繰り返して、アメジストはナイフを構え直す。
呪詛を掛けるような低くて高い、鈴のような声は、もう完全に壊れてしまって上手く鳴らない。


「ジザベルの所為だよ!」


 さっきと全く同じに、ナイフを振り上げて、振りかざし、振り下ろす彼女を、破水して下半身に力が入らない身体と、エメラルドの死体と、胎の中で確かに脈打っている宝石を抱えたジザベルは、他人事のように眺めていた。
逃げられないと分かっていたから、動かなかったのかもしれない。
逃げられると思っていたとしても、きっと動けなかっただろうけれど。
 ジザベルは死ぬことが怖いとは思わなかったけれど、自分が死ぬことで彼のルビーを生めなくなることだけが、ほんの少しだけ残念に思えた。






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2008/08/11   再UP




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