Eyes on Me







Act.18 : To the lambs which sing while being hurt

 解 放 区 





 彼のルビーをジザベルが身篭ってから、幾度となく彼女が思うことは、「世の中の母親達はみな例外なく凄い」ということばかりだ。
本気でそう思う。
 どういう経緯かはこの際別問題としても、ジザベルはこの世に産み落とされてすぐに母親の手を離れ、彼の元に引き取られた。
だからその顔を覚えているはずもないが、それでもジザベルを産んだのもその例外ではないのだろうと思う。
自分自身、生後間も無く手放された身としては、生んだ後について、それでも「凄い」とは言えない「母親」も存在していることは分かっていたが、この際生んだ後のことは、ジザベルの中では全くの別問題となっていた。
 自分の胎内に自分以外の命が宿る。
言い換えれば、それは自分の体内に自分以外のイキモノが宿るということだ。
それは本当に素晴らしいことなのか。
 確かに自分の体だというのに、その中には自分以外の命が、自分とは明らかに別の意志を持っていて、外に出ようと暴れる。
 母体から養分を吸収し、成長していく。
胎児というものは、文字通り宿主たる母親を食い物にして成長していくのだ。
寄生を糧とする存在と大差ない、そんなイキモノの発生を、どうしてそこまで喜べるのだろうと思う。
 そんなイキモノを十ヶ月も抱え、死ぬ思いをしながら、実際に命と引き換えにして生み出す『母親』もいると聞いたが、それを凄いと言わずに何というのだろうか。
 あるいはそんな子供の正体に気付いていないのだとしたら、おめでたすぎてそれはそれで凄いと、ジザベルは思う。


「順調だよ。」


 嬉しそうな表情で、また成長促進剤を投与しながら彼は笑う。
ジザベルはけだるい体を診台から起して、何も言わずに彼を見やった。


「早く生まれて来るといいな。」


 そう言って微笑む顔はまるで彼に父親としての自覚が生まれたかのような顔で、ジザベルは初めて、生まれて来なければ良いのだと、心の何処かで思った。
それ以上に、生まれて来るわけがないと思ってしまうのは、ジザベルの体が成長促進剤を投与されて育っている子供についていけていないからだろう。
腹の大きさは臨月並みであっても、実際は妊娠四ヶ月からもうすぐ五ヶ月に入ろうとしている程度なのだ。
通常の半分の時間で、体に出産の用意が整っているとは思えない。


「気分でも悪い?」
「いいえ。」


 だけど彼が優しい声で、まるでジザベルを気遣うように顔を覗き込んでくるから。
ジザベルは薄い微笑で答えた。
 そして少しだけ考えてから、かねてから疑問に思っていたことを口にしてみる。


「何故、薬を…」


 使うのか、と。
それを使うために、自分は削られて行くのだ、と。
暗にそう告げたつもりであったのに、その質問に、今度は彼の方が驚いたように笑った。


「早く会いたいんだ。」


 薬を使ってまで?


「僕の大事な宝石だからね。」


 内心浮き上がった言葉は、だけど今度は言語化することは出来なかったけれど。
彼は何度も同じことを問われることを嫌うから。
だから、嬉しそうな表情を壊すことを承知で、あえて別のことを続けて問い掛ける。


「本当に紅い眼になるんですか?」
「なるよ。」


 怒声で返されるかと思ったのに、ジザベルの予想に反して返されたのは自信に満ちた声だった。


「でも、私の眼は黒ですし、博士の眼は蒼です。仮に私の卵子ではなくエヴァの卵子を使ったとしても、彼女は博士と同じ蒼の眼ですし、遺伝子上では黒の眼が優性ですから紅はおろか蒼にもならないのでは?」


 仮にも遺伝子学者の養女なのだから、ジザベルにだってこれくらいは分かる。
黒い眼のジザベルの卵子を使っている以上、黒以外の眼にはなるはずがないのだ。


「ねぇジザ。君は僕をいったい何だと思っているんだい?紫や通常より遥かに濃い碧や蒼の眼が造れたんだから、紅い眼も造れる。アルビノにしてしまえばいいんだから、簡単なことだ。」
「そんなに簡単なことでしょうか。」


 なおも食い下がるジザベルに、彼は背筋が凍るような微笑みを浮べた。
それは、彼がそれ以上無益な会話を続ける意思がないということど同義語であることを、ジザベルは知っている。


「簡単な事だよ。近親相姦の間に出来た子供は異常がおこりやすいからね。手を加えて、結果を出すことも、たやすい。」
「私は博士の養女であって、娘ではありません。従って近親相姦は成立しません。」
「――そうだね。」


 やや間をもってから答えた時には、彼の表情から凍るような笑みは消えて、いつもの穏やかな笑みに戻っていた。
 自分と彼の会話の間には、道徳的とか人道的とか、そういったものを重要視する人間が聞いたら卒倒するような内容なのだろうな、と。
ジザベルは表情に出ないようにしてひっそりと笑った。
だけど、彼はそれを実行してしまうことに躊躇いなんてもたない人間であるし、ジザベルも止めようとは思わなかった。
 仮に彼にその能力を与えたのが神や悪魔という、人間の力が及ばない存在だったとしても、それを実行に移せるだけの設備と資金を与えているのが人間だということを、ジザベルは知っていたから。


「ジザ。ねぇジザ?」


 不意に彼が柔らかな声で囁き、診台に座ったままのジザベルの顔に触れた。


「不安なのは良く分かるよ。僕も始めて子供を取り上げた時はその眼が開くまで生きた心地がしなかった。でも、全部うまくいくよ。だから君はルビーのことだけ気をかけておいてほしい。」


 彼が労るその言葉の中に、ジザベルは自分が彼の宝石箱だということ以外を見出せなかった。
自分は、彼の大切な宝石をしまっておく、ただの箱なのだ。
皮肉っぽくそう歪んだジザベルの笑みを察したわけではないだろうが、次に彼が口にした言葉は、やはりジザベルの欲しい言葉ではなかった。


「もうすぐだから。もうすぐ君の鍵を開けてあげるからね。」


 触れるだけの短いキスをして、長いジザベルの髪に手を差し込んで、彼は本当に幸せそうなをする。
その動作も感触も、どこかジザベルの記憶中枢を刺激するものではあったけれど、結局彼女はそれが行き着く先まで思い出せなかった。
それよりも、この笑顔がクセモノなのだと、いい加減に気付くべきだったのだ。






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2008/08/08   再UP




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