Eyes on Me
Act.17 : I let you be out of order in all sincerity
解 放 区
それでも分かったことが一つある。 アメジストを、彼女の希望とは別に、部屋に送り届けて戻ってきたエメラルドに、ジザベルは再び呟いた。 「貴方は、守っていたのね。」 同じくサファイアを部屋に送り届けて戻ってきたジザベルは、床に転がったメトロノームをピアノの上に戻して、壊れていないかを試す。 酷く緩慢な動作で揺れたそれは、針が曲ってしまっていて不規則にしか鳴らなかったけれど、別に壊れていたところでまともにピアノを弾く者がこの屋敷に居るわけでもないから、支障は無いだろう。 ゆるりと視線をジザベルに向けたエメラルドは、淡々とした口調で応えた。 「せめて一人だけでも彼女の味方でいなければ、アメジストは救われない。」 抑揚の無い声が無駄に広い部屋に響く。 彼はジザベルには何の感心も持たない様子で、再び視線を窓の外に投げ出す。 「そうね。彼はアメジストもサファイアも愛していないから。勿論、貴方も私も愛されていない。彼は自分しか愛していないもの。」 エメラルドに負けず劣らず無愛想な口調で、ジザベルは続けた。 結局のところ、ジザベルもサファイアも感情の視野はそれほど広くないのだ。 広くないそのフィールドの中心には彼が位置し、周辺を時折誰かが通り過ぎるだけ。 それはもちろん、自分自身を含めてのことで。 「特に、私と貴方とサファイアはね。彼はありきたりな眼は好きじゃないのでしょう?」 ひょっとしたら、自分は少し笑っていたかもしれないな、と。 ジザベルは静かに視界を閉ざした。 表面的な眼の色が何色であろうと、視覚領域に映る世界は誰もが同じであるはずなのに、彼の一喜一憂が、一激一怒が、こんなにも世界から色彩を奪って行く。 だけどそれは、何もジザベルだけではなくて。 まるでジザベルの思考回路を切り開いたかの様に、その考えている事を察したらしいエメラルドは一瞬だけ、酷く煩わしそうな表情をみせた。 ジザベルは、こうして彼を観察してみるのは楽しな、と、思う。 「彼のことは、僕等より貴方の方が詳しいはずだ。」 関心が無いのか、無関心を装っているのか、エメラルドの声には複雑な感情がこもっているように思えた。 「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないわ。」 彼の視線を辿ってみれば、同じ色の世界が見えるのか、それとも違う色の世界が見えるのか。 ジザベルは好奇心に負けてエメラルドの視線を手繰ろうとしたが、それは行き着くよりも早く、外に向けていた視線をジザベルの方に向けたエメラルドに行き当たった。 「何故?貴方は彼の娘ではないのか?」 「本当の娘なら、自分の子供を孕ませたりはしないでしょうね。」 世界の色を確かめる事を早々に断念して、ジザベルはすでに大きくなっている腹を見てから、視線をあてどなく泳がせる。 まるで、子供を産み落とした後の、自分の末路を探すように。 だが、エメラルドはジザベルのその言葉が、まるで根本から異質なものであるかの様に、酷く心外そうな表情に顔を歪ませて呟いた。 「――あなたは、覚えていないのか?」 「何を?」 エメラルドの言葉に、ジザベルはまるで思い当たることなど無いように即答で問い返す。 「――疑問に思ったことは、無いのか?」 「何に?」 更に続けて問い掛ければ、ジザベルはまたも即答で返す。 「実験室で眠る、ホルマリン浸けのエヴァだ。」 「エヴァが、どうかしたの?」 「――いや、いい。忘れてくれて構わない。」 思えば、自分達は特殊なのかも知れない、と。思い直したエメラルドは、静かに眼を伏せた。 それが、人間の女から生まれて来たか否かの違いなのかもしれない。 自分は目覚める前から、羊水の中にいた頃からの記憶を持っているが、ジザベルは生まれてから今までの記憶の全てを自在に管理出来ている訳では無いようだった。 「あなたは、アメジストやサファイアを愛しいと思うか?」 「――さぁ、分からないわ。」 「では、ルビーは?」 「――さぁ、分からないわ。」 せめて、と。 半ば自分自身を慰めるかのような言葉で問い掛けたそれは、しかしジザベルは素直に小首を傾げた。 続けて問えば、彼女は今度は自嘲にも似た微笑を浮かべて、やはり同じ言葉を返してくる。 「自分の子供なら、普通は愛しいと思わなくてはいけないのでしょうけどね。」 寂しく微笑んだジザベルは、 言葉とは裏腹な、酷く慈しむような手つきで膨れた腹を抱く。だけどそれは、そこに居る存在が、愛すべき対象ではないことも、生んだその後まで自分が関与する権利が無いことを、知っているものの動作だった。 「私が知っていることはとても少ないわ。ここでは彼が神様で、彼が法律で、彼が裁判官で、彼が死刑執行人だということ。」 ジザベルは指折り数える。 それは確かに真実だと確信できる事実であって。 残念ながら、それ以上の重みも、それ以下の重みも無い。 「哀しいですね。貴方は確かに人間の女から生まれてきた存在だというのに、水槽から生まれた僕等と同じだなんて。」 エメラルドの口調は何の変わりも無く感情のこもらない声だった。 時折覗く瞬間的な感情は、今はもう姿が見えなくて、だけど、表面的にはそう見えるエメラルドの碧の綺麗な眼の奥では、僅かな感情が揺れていた。 「私に言わせれば貴方も私も同じだけれどね。」 「ええ。結局は彼の玩具であると、それだけです。この存在は。」 「そう、彼にとって私達とは、それだけの存在に過ぎないわ。だけど、私達にとって『私達』は、それだけの存在じゃないでしょう?」 「だから貴方は彼のルビーを産むことを承諾したのですか?」 「だから貴方は自分より、より幼い宝石を守ることにしたのでしょう?」 きっと今、自分は意地悪なことを口にしたのだろう、と。 ジザベルは顔の筋肉が表情を笑みの形に形成していく様を自覚しながら思った。 その言葉を受けて、エメラルドの中からもう感情と呼べる炎が眼の奥から消え失せたことを悟って、ジザベルも軽く眼を伏せる。 だけど次に眼を開いたとき、視界に入ってきたのは何か楽しいことを思い出すかのように、笑んだエメラルドの顔だった。 「僕は、いつも彼を見ていました。水槽の中から。」 何かを嘲るような微笑を見せて、視線を窓の外に放りながら続ける。 ジザベルは、彼以外の人間が、こんなにも純粋な、混じり気の無い微笑を見たことが無かった。 「ちょうどここから外を見るように、水槽の中から彼を見ていたんです。生まれてから、覚醒するまで、ずっと。」 「それは、彼の実験がいつも貴方の目の前でされていたということ?」 「そうです。」 なかなか想像に嫌悪を感じることを、エメラルドは口にする。 わずかに眉を顰めたジザベルに苦笑して、エメラルドは続けた。 「だから、こうして私という生き物を造ってくれたことには感謝しますけど、それ以上に妹と弟を最優先で守ろうと決めたんです。」 彼が水槽の中から何を見ていたのか、ジザベルには想像もつかない。 だけど、何が起こっていたかを知らなくても、エメラルドの言い分が正しいのだろうということは、誰に確認するまでもないことなのだろう。 そもそも常識で考えれば、彼以上に非常識な人間などいないのだから。 「そうね。それが一番正しいと思うわ。」 ごく素直に、ジザベルは賛同の意を示した。 エメラルドはその言葉に、軽く会釈をするようにして応える。 それ以上のことを言葉にしてしまうことは、自分にとっても、ジザベルにとっても、自分達の神を冒涜する、背信行為になると分かっていたから。 「疲れたわ。そろそろ私も部屋に戻る。」 変わりにそう切り替えして、ジザベルはごく短い会談に終了の意を告げた。 エメラルドもそれ以上何も言わなかったし、彼女の中にも、もうそれ以上言うべき言葉は存在しなかったから。 |
2008/08/04 再UP |