Eyes on Me
Act.10 : If I become your signpost...
禁 猟 区
銃声が耳に響く。子供の耳に。男の耳に。 そして、『彼』の耳にも。引き金を引いた右手を中心に、一瞬の衝撃が空気を裂いた。 彼の中では聴いて慣れ馴染んだ銃声は、子供の耳にはどんな音に聞こえたことか。 そして、目隠し越しに、ピジョン・ブラッドはこの結末をどれだけ正確に予期していたのだろう、と。 銃声の余韻を残した空を視界の端に捉えながら、彼は思った。 あの、無表情の向こうに隠された子供の思考回路は、こうなることを全て予想していたのか。 それとも、抗うことはそれだけ無駄な行為であると、あきらめていたのか。 「――君が殺すべき獲物は、僕じゃなくてピジョン・ブラッドのはずだろ?」 その言葉を、彼自身、どこまで本気で言ったのか、男にはわからなかった。 仕事は絶対だと、依頼人と「上」には逆らうなと、それこそ刷り込みの如く根深く教え込まされたことであったが、今はもう大して重きがある言葉だとは思えなかったから。 胸の中央にあいた風穴から、血液が溢れ出す。 しかしそれすら気に止める様子もなく、『彼』はするりと取り出した銃の銃口を、もう一度子供に定めて持ち上げる。 躊躇うことなく引き金が引かれ、ピジョン・ブラッドの胸を神経質とも言えるほどの正確を持って貫いた。 声を上げることもないまま、スローモーションをかけたようにゆるゆると子供が倒れ込み、『彼』は自分も同じ様に倒れながら、それでも引き金を引き続けた。 何度も何度も何度も。 装填した全ての弾が、尽きるまで。 狂ったように。狂っていたから。 反射的に彼は子供と『彼』の間に割って入り、再び銃口を向ける。 耳障りな音が静寂を突き破り、二発、三発と、放たれた音と同じ数だけ血飛沫と共に身体に穴が刻まれる。 それでも誰一人、声を上げる事はなかった。 衝撃で身体がバランスを失い、三人三様の体勢で地面に崩れ落ちて、まだ暗い夜空が、紅く染まる。 嗅ぎなれているはずの硝煙の匂いも、吹き上がる血の鮮やかさも、今日だけは本気でシャレにならねぇ、と。 いつ死んでも可笑しくないと、ずっと思っていたはずの心が、叫んだ。 そして、思い出したように大きく息を吐き出して、一瞬停止していた思考回路が動き出す。 誰が一番重傷なのか、と。 自分の傷が致命傷には至らなかったことを瞬間的に判断して、視線をめぐらせた。 右腕と鎖骨のあたりに濡れた感覚と痛みが走ったが、浅くはなくても彼にとっては経験のある範囲に留まっていたから。 隣で壊れた呼吸が聞こえて、撃たれた衝撃で倒れた身体を動かすと、痛みばかりが傷を抉った。 これは、経験があっても慣れない痛みだ。 「――残念だな。どうせなら、綺麗なままで君を連れて行きたかった。」 同じ様に、身体を仰向けにした『彼』が、そんな事を呟く。 ここ数日を共にした、ピジョン・ブラッドと同じ、自らの死などまるでどうでもいいかのような口調。 「僕はいつも、綺麗なものを作りたかっただけなのに。結局、綺麗なものはいつも完璧にはならない……。」 『彼』は、失望をたたえた眼を閉じ、そして肺の中の全てを出し尽くすかのように溜息を吐く。 絶望も、苦痛の一片も含まない、ただ純度の高い純粋な失望を伴って。 「――欲しい物はいつだって、この手に掴むことは出来ない………」 そのまま、再び大きく酸素を吸い込むことも無く、『彼』は苦笑を浮べたまま、永久に動かなくなった。 男は強引に身体を起して立ち上がり、『彼』を見下ろす。 爪先で蹴り飛ばしてやりたい衝動に駆られたが、もう抜け殻になったそれをどうこうするほどの趣味も無い。 「……僕たちも、貴方に必要とされたかっただけだったのにな。」 今にも消え入りそうな声が聞こえて、振り返る。 やはり同じように仰向けに倒れた子供の小さな身体には、『彼』と同じ箇所と、それを取り囲むようにいくつもの風穴が穿たれていた。 くり貫かれてしまった眼と同じ色の液体が、ゆるゆると染み出して、身体をじわじわと紅く染め上げる。 不規則な呼吸と、不規則な鼓動。 死ぬんだな、と。男と子供は同時に思った。 縋りついた最後の糸にさえ、あまりにあっけなく断ち切られてしまった姿が不憫に見えて、何を思うでもなく、男は子供の顔に触れた。 血で染まった目隠し越しに、残った方の眼が開かれるのが分かる。 それに応えるように、生臭く塗れた冷たい手を、子供は手探りに伸ばしてくる。 「僕を、彼のモノでいさせてくれて、ありがとう。」 「――結局お前は、最後まで奴を想うんだな。」 遊び道具を造るように生み出され、壊れれば捨てられる。 それでも縋り付こうとする想いが、縋りつくものなど今まで一つも存在しなかった男には、理解できなかった。 そんな彼の考えを読んだように、ピジョン・ブラッドの顔がふっと緩んだ。 それは、初めて見せた、年相応の笑み。 「そうする為に、僕たちは造られたから。だけど彼は、彼は僕を追いかけて来てくれたけど、やっぱり心はここには無かった。」 苦しげに浅い呼吸を繰り返して、今はもう眼だけでなく体中を鳩の血の色に染め上げた子供は、静かに続けた。 その度に少しずつ、口の端から鮮やかな体液があふれ出す。 白い肌を隙間無く染めるまで。 その小さな命を、想いと共に全部押し出すように。 「それでも。今までも、これからも、僕たちはずっと彼のモノなんだ。だって他に、存在理由なんて、欲しくなかった……」 声が薄れて、するりと力が抜けて、彼を探していた手が地面に落ちる。 死んだ後まで、捕らわれ続けることを望む姿に、彼は苛立ちを感じた。 その、想いの強さも。 執着することも、されることも。 その存在の全てをかけてまで、命が尽きた後までも、自由など求めないほどに望んだ、たった一つの願いは。 「――俺は、死んでまでお前を捕らわせておく為にあいつを殺した訳じゃない。」 子供の顔に触れている手に力を込めても、苛立った声をぶつけてみても、ピジョン・ブラッドはもう応えなかった。 酷い冗談だ。狼は小兎に捕らえられていた。 |
2008/07/15 再UP |