Eyes on Me







Act.09 : The life that this hand was stained with

 禁 猟 区 





 子供を腕に抱えて、煙草を銜えたまま、男は顔を上げる。
目の前に現れたその存在を、いったいどう表現したらよかったのだろう。


「迎えに来たよ。ピジョン・ブラッド。」


 黒いスーツに黒いコート、優しい瞳は、自分と同じ色だった。
穏やかな物腰に、温和な笑みを浮かべた顔に、その奈落の瞳だけが印象的だった。
そう、これは、殺し屋の眼。
認めるのは癪であったが、同じ闇を纏った、黒い色。
『彼』は右手にガバメントを遊ばせながら、続けた。


「帰ろう。僕から逃げきれるとは、思っていないだろう?」


 優しく、愛しむように鼓膜を叩いた声に、子供は男から離れて、ゆらりと立ち上がる。
まるで彼のその声に浸食されて動いているような、その意思決定が、男の気分を苛立たせた。


「そうして連れ帰って、また僕を飾っておくの?」
「君は僕が造りだした(ほうせき)の中でも、最高級品だからね。他人にやりたくはないな。」


 一瞬男を睨んだ『彼』は、そのまま自分の元へと歩み寄った子供の顔に触れる。
声と同じように、優しく、愛しむように。
楽しそうに笑う顔が、サファイアを思い出させて、男を不愉快にさせた。


「分かるだろう?僕は君を失いたくないから、殺さないように追いかけた。」
「――僕は、僕と賭けをしたんです。」


 顔に触れる男の手から逃げるように、その言葉を遮って。
子供は身じろきする。


「――貴方は、この眼が無くても僕を連れ帰ってくれた?」


 言いながら子供は『彼』の手を払い除け、返事が返ってくるより先に、行動に移っていた。
 聞きなれない音が、夜の静寂の中で響く。『彼』も俺も、全く予想もしていなかった行動。


「この眼が無ければ僕を連れ帰る理由が無いと言うなら、僕の眼だけを連れ帰ってください。」


 子供の手の中にあったのは、血まみれの宝石だった。
そして、それを、やはり無表情に差し出した子供の白い綺麗な肌は鮮やか過ぎる血に染まり、ついさっきまで最高級のルビーがあった場所には、真っ赤な空洞が出来上がっていた。
 呆然として動かない『彼』に、ピジョン・ブラッドは血にまみれた眼球を投げつける。さらに、「もう片方も要りますか?」と、残ったほうの眼に手を触れれば。


「やめろ!」


 『彼』の声が響き、同時に男の手はピジョン・ブラッドを押さえつけていた。
いつかと同じように、力を込めすぎてしまえば簡単に折れてしまうであろう、その腕。
しかし、それでもピジョン・ブラッドは、まるでつかまれたことなど気付かないかのように、声を荒げる。


「ウォルフ、僕はピジョン・ブラッドじゃない。貴方が造りだした紅い眼に僕がついてきたんじゃない。貴方が造りだした僕に、紅い眼がついていただけだ。」


 感情と言うには不完全な、それでも悲痛で無機質な声が、『彼』を弾劾する。
 男と出会ったとき、子供は男を「ウォルフ」と呼んだ。
同じ名前を、同じ声が、今度は自分自身を追い詰める存在として、呼ぶ。
ピジョン・ブラッドは、今までの無表情など微塵も思い起こさせないほどに、感情に任せて弾劾した。


「貴方は僕を愛してると言うけど、サファイアと逃げ出した僕を、僕の方を追いかけて来てくれたけど、この眼が無くてもそうしてくれましたか?」


 それは、未熟で不完全な心の、奥底からの叫びだっただろう。
言い終えてからも、瞬き一つせずに『彼』を見据えていた。だけど、視線の先の『彼』は、もう微笑んではいない。


「君には失望したよ、ピジョン・ブラッド。」


 ややあってから、『彼』は穏やかに嘲りの表情を見せて口を開いた。
表面に張り付いていた優しい微笑も、愛しむような声も、もうどこかに身を潜めていた。


「僕が欠陥品を嫌うことは、君は知っていたはずだ。それを知っていて、自ら欠陥品になるとはね。答えは君が一番良く知っているだろう。君を連れ帰る理由は、たった今君が壊してしまった。」


 自分の慟哭が届かなかったことを知った子供は、それも想定内の内だったとでも言うかのように、面白いほど滑らかな動作で激していた感情に無表情の幕を下ろし、掠れる声を押し出す。


「――やっぱり貴方は、最初から宝石の子供達を造りたかったわけじゃなかったんですね。貴方は、自分が失った物を造りたかっただけだったんだ。」


 目の前で交わされる会話は、男には解らない領域の会話だ。
だけど、彼は知ろうとも思わなかったし、知りたいとも思わなかった。
 空洞になった子供の眼窩からこぼれ出す血液が、頬を濡らし、首を伝い、地面に綺麗な染みを作る。
無言のまま、彼はシャツを裂いて、目隠しをするようにウサギの顔に巻いた。


「止血しておけ。」


 自分の体が、震えていたことに、本人は気付いていたのだろうか。
 男の行動を無言で見ていた『彼』は、彼と向き合うと不意に屈みこみ、足元に転がっていた子供の鳩の血の色(ピジョン・ブラッド)の眼を拾い上げた。
スーツの内ポケットから真っ白のハンカチを取り出し、何か大切なものを扱うようにその眼を汚した血を拭き採る。


「残念だよ、ピジョン・ブラッド。」


 言いながら『彼』は綺麗に拭いたウサギの眼球に、そっと唇を触れる。
キスを贈る様に。砂と血に塗れた存在を、綺麗に清めるように。
それはやはり、優しく愛しむような、そんな動作で。


「本当に残念だ。ずっと君をこの手に捕らえておきたかったのに。」


 失望の溜息を漏らして、『彼』は懐から一枚の封筒を取り出した。
一つの滲みもない、真っ黒いその封筒は、彼には見慣れたものであり、ピジョン・ブラッドにも何の意味を持つものなのか、用意に判断できた。
だってそれは、数時間前に同胞の命を消し去ったものだ。
『彼』は器用に手首を翻し、しゅっと音を立てて、封筒を男に投げつけた。


「君に依頼だ。獲物が誰かは、見なくても分かるだろう?」


 楽しそうに笑う顔を、彼は最大限の嫌悪と軽蔑を込めて睨む。
この場所で、それが出てくると言うことが、「何故」なのか、理解できても愉快な話ではなかった。


「残念だが、俺は自分で依頼を受ける気はない。俺を動かす気なら、上のヤツラを通せよ。」
「知っているよ。だけど僕は君の言うところの、『上のヤツラ』の一人だ。君も聞いたことがあるはずだけどね、エーデルシュタインの名を。」


 嘲ったような笑みを浮べる『彼』に、男は舌打ちしたい衝動を押え込んで封筒を拾った。
 理性では、予想もついていたのだが。それでも感情は舌打ちをした。
封筒が、『彼』の懐から出てきた時点で疑う余地など無かったはずなのに。
『彼』は何を出せば男が動くか、知った上で封筒を突きつけたのだから。
 彼は視線を子供に向ける。何も答えないまま、ピジョン・ブラッドは立っていた。
普段の無表情に加え、今は裂いたシャツを止血として、目隠しのように巻いているので表情は全く分からない。
一つ、息を吐き出してから、俺は『彼』の方に向き直って、吐き捨てた。


「狂ってるな。」
「僕は、この世で何ものにも執着できない君の方が異常だと思うよ。」


 にこにこと狂った笑みを灯したまま、『彼』は漆黒の髪を掻き揚げた。
今は、同じ色の髪にも、同じ色の眼にも、同じ黒のスーツも、何もかもが気分を苛立たせるものにしか感じられなかった。
 それでも、子供が。
ピジョン・ブラッドがその色に焦がれたから。
黒に。
黒真珠に。
深い闇色の眼(ブラックパール)に。
だから彼は、無言で銃口を持ち上げた。


「仕事に私情を挟むうちは、プロとは言えないよ。」


 すいっと腕を動かして、『彼』も何処からとも無く取り出したガバメントの銃口を、こちらに向ける。


「僕は心から君を愛していたんだよ。」


 目隠しをした子供は、無音で行われた一連の動作に気付くはずも無く、無防備な体を銃口に晒したままで。
何の躊躇いも無く引き金が引かれた時、彼は反射的に行動していた。今日一日で、二回目の、殺し屋らしからぬ行動だった。






<<  Return  | Menu |  Next  >>



2008/07/15   再UP




Copyright (C) 2008 Good-bye, Dear My Little Lover Some Rights Reserved.





 
inserted by FC2 system