Eyes on Me
Act.06 : Therefore I continue killing me
禁 猟 区
送られた写真のモデルは、汚い路地裏に佇んでいた。 こういう場所は、仕事柄、という言葉を抜きにしても、彼にはよく馴染む。 襤褸切れのように、襤褸切れに包まった子供は、男の顔を見て、無邪気に笑った。 「僕を殺しに来たんだね。」 「どうしてそう思う?」 あからさまに銃の中に弾丸を詰めながら言う言葉も、その姿も。 それ程楽しいものとも思えなかったが、子供は恐怖の一片も存在しない笑みを浮かべている。 「だって、貴方の眼はブラックパールだから。黒は殺し屋の色だ。彼はいつもそう言っていた。」 「彼?フェンリルのことか?」 「フェンリル?あぁ。そうだね、それも、彼のことだ。僕らを造った人。貴方に殺しを依頼した人。彼は貴方の眼の色も、とても気に入っていた。」 どこか懐かしむような眼で、子供は男の眼を見据える。 そして、子供は無邪気に、楽しそうに笑って座ったまま、汚れた壁に寄りかかった。 自分しか知らない世界のことを、それがあたかも全てであるように。 ゆるく癖のかかった金色の髪は、ゆらゆらと揺れる。 生き物から、ただの肉塊になるまでの僅かな時間。 だけどこの子供は、今自分の元に居る子供のように、それが明確な事実であると悟っても、顔色一つ変えなかったから。 だから男は、ほんの少しだけ、その猶予を延ばしてやることにした。 たとえば、煙草一本が灰になるまでに時間。 聡い子供は、それをも正確に理解して、そして少しだけ微笑む。 「彼は綺麗な眼が好きなんだ。だから色んな色の子供を作る。そうして造った宝石の眼に、自分だけを映して閉じ込める。」 「それがモルモットか?」 言って、大きく呼吸をつく。 吐き出された煙草の煙の向こうで、子供は整った顔立ちを少しだけ驚きの表情に変えて見せた。 「貴方はピジョン・ブラッドを知ってるの?」 「ピジョン・ブラッド?」 「最高級のルビーの名前だよ。『鳩の血』って意味なんだって。彼はあの紅い眼が一番お気に入りだった。」 「――お気に入りのモルモットが、どうしてこんなところに居る?」 「ピジョン・ブラッドはここに居るの?」 「お前のことだ。お前も、ピジョン・ブラッドとやらと同じモルモットなんだろう?それが、どうして殺されようとしている?」 「あぁ。」 ため息に近い呼吸を落として、子供は苦笑気味の笑みを漏らした。 まだ陽の光が届く深さの海の色をした眼が一瞬揺らいで、伏せられる。 「僕はサファイア。彼のものだけど、彼のお気に入りじゃない。蒼い眼は造りやすいからね。僕以外にも、サファイアは居た。彼は碧の眼だったから、区別する為にエメラルドと呼ばれていたけれど。」 「――どちらにしても、ここはお前たちモルモットには過酷過ぎる場所だな。」 もう一つ煙を吐いて、のどがメンソールに冷たくなった。 そろそろ、煙草一本分の猶予が尽きる。どうにも味の悪い話だ。 「ピジョン・ブラッドは僕が逃がしたんだ。約束だったから、ジザベルと。彼の手の上から彼以外の何かを探せるように。」 悲しそうに笑って、サファイアと名づけられた子供は続けた。 それは、自分のことであるはずなのに、まるで他人が見てきたように語られる過去。 そして、そこから続いていく予定の無い、ほんの僅かな未来の話。 「だから僕は殺される。彼は僕を捨てたから。彼は自分以外のものを映そうとする眼を、酷く嫌うんだ。だけどピジョン・ブラッドは彼のお気に入りだから、彼は最後まで楽しもうと追いかける。取り戻そうと、きっと追いかけて来る。どこまでもどこまでもどこまでも。きっと。」 「狂ってるな、そいつは。」 呆れるように呟いた俺に、サファイアはただ、笑っただけだった。 『狂っている』、なんてことは、当の昔から知っていたというように。 それでも、それしかなかったのだと、ただ、思い知らされたかのように。 「この世にまともな人なんて、一人も居ないって、彼は言っていたよ。」 それは確かに、一つの事実であるのだろうけれど。 もう一つ煙草の煙を燻らせてから、彼は最後の灰が落ちる前に、煙草を捨てて踏みつけた。 もともとそれ程無い煙草一本分の猶予を、今はもう待つ機にもなれなかったから。 それを見て、サファイアは「殺しに来たのが貴方で良かった」と、笑う。 「彼は自ら殺しに出ることもあるし、誰かを雇うこともある。僕はね、ラピス・ラズリに追われてた。」 「――お前の持ち主は、随分と嗜虐趣味が強かったんだな。」 聞き覚えのある名前に、男は僅かに眉をしかめる。 その名前が示すものは、まさに生き地獄そのものだ。 彼女はすぐには殺さない。 死にそうな傷を負わせて、散々逃げ惑わせておいて、最後に野たれ死ぬのを眺めて楽しむ。 そして、損傷も激しい死体を依頼主に持ち帰って、依頼したにも関わらずソレを前にして眉をひそめる姿を見て嗤うのだという。 いかに手早く仕事を片付けるかを第一に挙げている彼は、苦虫を噛み潰しながらその小さな体を見た。 その視線に気付いたサファイアが、困ったように身に纏っていた襤褸切れをめくって見せれば、兎と同じ手口の切り傷が、そこに刻まれている。 ただし状態は遥かに悪く、傷の周りは赤黒く変色して、壊死を起こしていた。 よくもまぁ、ここまで平然と話していられたものだ、と。 思わず感心してしまうほどに。 「あれを相手によくここまで逃げてきたもんだな。あいつはこちらの世界じゃ指折りのサドだぞ。」 「知ってる。だけど、貴方は僕を一発で殺してくれるでしょう?」 呆れを含んだ感心に、無意識のうちにため息が混ぜられた。 サファイアの言葉に答える変わりに彼は、先ほど弾を詰めていた銃をもう一度開き、一発を残してそれ以外の弾を、ばらばらと地面に落とした。 自分の望みどおりにしてくれるのだと。 ふっと、何かが緩んだような笑みで、サファイアは笑う。 「ねぇ、ブラックパール。ピジョン・ブラッドを、助けてあげてね。」 銃口を向けても怯える様子は無く、サファイアは小さく呟いた。 こんなところばかり、紅い目の兎、否、名前がわかった今はピジョン・ブラッドと呼ぶべきなのかもしれないが。 似すぎている反応に、男は靜かに嗤った。 「俺が殺すことにならなければな。」 言葉の意味がわからないはずは無いだろうに、サファイアはそれでも微笑む。 まるで、そんなことはありえないとでも言われているような気がして、癪に障った。 それも、この一瞬で終わるのだと解っていればこそ、にやりと口元だけ笑って返せたのだけど。 その額のど真ん中に衝撃を打ち込んで、彼はまたポケットから煙草を取り出した。 仕事用に用意した三本のうちの、最後の一本。 大きく吸い込んで、吐き出す。 硝煙の匂いとむせ返る血の香りに混ざった苦いメンソールは、不味い。 それでもニコチンに犯された肺は、この不味い味を求めるから。 モルモットに兎に狼に妖狼。 ブラックパールにサファイアにピジョン・ブラッド。 この街にはどうも、人間の皮を被った奴が多いらしい。 それも、見かけばかりは綺麗に誤魔化して、人間の皮をかぶっているやつら。 |
2008/07/15 再UP |