Eyes on Me
Act.03 : Therefore I continue murdering you
禁 猟 区
どちらが言い出した訳でもなく、子供はその日から彼の元に居着いた。 腹の傷は相変わらずで、それを抱えた子供が逃亡劇を繰り広げるには無理がある。 というのは、恐らく理由のうちには入らないのだろう。 彼が拾った子供は、すべてに関して興味が無い。 自分を助けた男に対しても。男が自分を助けた理由に対しても。 自分が今、生きているか、それさえも含めて。 すべてにおいて、興味も関心も無いのだ。 「邪魔なら出て行くけど。」 「お前の好きにすればいい。」 それでも子供は、絶対零度の空気を放ちながら咲き誇る深紅の花のような眼で、常に彼に挑むような視線を投げかけてくる。 ただ、その瞬間のやり取りだけがすべてであるように。 雪を敷き詰めた地面に咲いた鮮血の花のように、鮮やかに、残酷に、そして美しく魅せる。 石畳を染めながら赤が黒くなっていく様はもう何度も見ていたけれど、ずっと同じ紅で自分を見つめてくる色は、初めてだった。 彼も、気に入っていたのだ。 「何て呼べばいい?」 「お前の好きなように呼べよ。」 その日は珍しく、兎の方から話を振ってきて。 結局のところ、興味も関心も何も無い様子を装いながらも、子供も彼を意識していたのかも知れない。 それが、どんな感情を伴っているかは解らなくても。 今は互いが互いのそばに居ればいいと。 強制も制約も無く許された関係であるから、尚更に。 殆ど無表情で問いかけられた言葉に、彼は煙草に火を付けながら、応えた。 無表情の中で、彼が最初に気に入った瞳だけが、僅かに考え込むように色を変える。 「じゃ、狼。」 サイズの合わない服に埋もれて、子供は眼を伏せた。 その名前を呼ぶことに対して、酷く抗いがたい何かを振り切るように。 新しい名前で呼ばれた男は、苦いメンソールの煙と共に一つ呼吸を吐いてから、濃いめに入れたコーヒーのカップを手にして、一口飲む。 そのまま視線を回せば、子供は長めの髪をかきあげながら見返してきた。 何故、その名前なのだ、と。 無言のうちに問かければ、兎は鮮血の眼を一瞬更に煌かせて答えた。 「僕のよく知っている人と同じ色の眼をしてるから、同じ名前を、貴方に。それに、ウォルフ 「――そんなに狩られたいのか?」 ことさら子供の挑発に乗るように、その細い骨と皮ばかりの手首を掴んで床に引き摺り倒し、同じくらい骨と皮ばかりの咽喉に手を架ける。 がたがたと椅子が倒れ、傾いたテーブルからコーヒーが入ったままのカップが転がり落ち、ガシャンと耳障りな音が響く。 片手でも出来そうな程にやせ細った身体には、衝撃が強すぎたのかも知れない。 ろくに治ってもいないだろう腹の傷には、包帯越しにも紅い液体が滲むのが見えた。 それでも、この状態でさえ、笑いも泣きもしない子供は、この時も眉一つ動かさずに無表情を保っていて。 静かに沈黙したまま、自分の上に圧し掛かった男を見据えている。 ほんの少し手に力を入れれば、簡単に骨くらい折れるだろう、ひとまわりもふたまわりも幼い、ただの子供。 「――好きにすればいい。」 男を見据えたまま、子供はゆるゆると絶たれていく酸素を求めるよりも、掠れた声で静かに呟く方を選んだ。 首から力を抜き重力に従うようにだらりと視線をそむける。 ただ、疲れたと。 言葉で言う代わりに、肺に残っている最後の一息まで手放すことで示す。 「――なら、狩り時になるまでは飼うことにしとくか?」 何故だか無性に楽しくて、男は咽喉の奥で笑った。 ゆっくりと立ち上がり、子供の首から手を離す。 そんなことは、微塵も望んでいなかったはずなのに。 ここで死んでしまうなら、それでもいいと思ったのに。 開放されれば、押しつぶされていた子供の器官は、足りなくなった酸素を貪るように吸いもうとする。 子供の意思に背いた生存本能は、ゲホっと苦しそうな咳を一つ、薄い唇から押し出して。 「それっていつかは僕を殺すってこと?」 呼吸をすることと、言葉を押し出すこと。 生きようとする本能と、それに抗うかのように、男の行動に絶望した子供は、自分では見えるはずも無い首に残った手の跡に触れながら、彼を睨んだ。 「好きにしていいんだろう?」 そう応えた時、自分はきっと笑っていたのだろうと、彼は思った。 じゃなければ、普段はあんなにも無表情な子供が、敵意も露に睨んでくる筈が無いのだから。 |
2008/007/07 再UP |