Eyes on Me
Act.02 : If I become the bread which somebody lives for
禁 猟 区
彼が拾った子供が負った傷は、腹部から下腹部にかけて抉るような傷。 出血多量でじわじわと死に追い詰めるように、すぐには死なないやり方でつけられた、実に巧妙な手際による傷跡だった。 彼は、そういう手を好んで使いたがる同職者を知っていた。 もちろん自分自身だってそういうやり方も知っているし、実際にやったこともある。 だから、と言うわけでもないが、逆に手当ての仕方だって、ある程度は心得ていた。 それで助かるかどうかは、もちろん知らない。 仮に死んだとしても、彼は何一つ困らなかったし、助かったとしたら、何となく気に入った紅い眼が自分のものになる。ただ、それだけのこと。 だから、手当てはしても、それ以上のことはしなかった。 医者に見せるという発想も義理も無かったし、高熱で魘されている姿も、放置した。 この子供が、どのような経緯でそうなったのかは知らないが、どうせマトモな人種ではない。 そういう人間は、結局のところ人の手を借りるようでは生きていけないのだ。 例えそれが、常識で考えれば庇護と保護が必要な子供であったとしても、彼は常識の範囲に住む人間ではなかったから。 そして、そのまま熱に浮かされながらも眠り続けた子供は、四日目にようやく眼を覚ました。 「気分は?」 テーブルの上で、手入れの為にバラした仕事道具を組直しながら、彼は問い掛けてみる。 それは、子供が魘されているときと何ら変わらない表情で。 本当にそれに興味があって拾ってきたのか、問いただしたくなるような深い黒が、緩慢な動作で身体を起こした子供を映していた。 「………」 日の光が届かないほど深い海のような眼に問われて、同じく緩慢な動作で首だけを動かした子供は、三日前、気を失うまで灯していた、刺すように危険な眼で応える。 その外見とはまるで似合わない強さを持った視線で返された、声を伴わない返事は、確かに彼を責めていた。 何故、助けたのだ、と。 何故自分は、生きているのか、と。 しかし彼は、薄く口元だけで笑ってそれを黙殺した。 視線を手元に仕事道具に戻して、更に続ける。 「名前は?」 「…モルモット」 「それはイキモノの名前だろう?」 「でも、そう呼ばれてた。」 「何故?」 「実験道具 ようやく応えた声は、興味が無さそうに視線を彼から正面の壁に移す。 自分の置かれた状況さえもまるで関心が無いその様子は、仮に目覚めたこの場所が、生と死を隔てる最後の境界でも、鎖と枷に繋がれた檻の中でも、実験室のホルマリンの中でも何処でもいいという、そんな表情で。 彼は柄にも無く作り笑いではない笑みを浮かべる自分自身を自覚した。 「……それなら兎の方が似合うな。名前は?」 銀色の毛並みと紅い眼の兎に、もう一度問い掛ける。ここまで何かに執着するのは、久しぶりだな、と。それでも冷静に考えながら。 子供の皮をかぶった兎は、その言葉の意味が何なのか、咀嚼するようにゆるりと首をかしげてから、一瞬眼を伏せて応えた。 「――ずっと前に忘れた。」 それは、応える気がないという明確な意思か、それとも名乗ることが出来なくなったことへの郷愁なのか。 いずれにしても、彼には関係が無い。 それが、他人の過去であるなら、尚更に。 自分自身は名乗ることを拒否した子供は、その淡々とした彼の空気を悟ったのか、今度は逆に問いかけてきた。 「貴方の名前は?」 「あいにく、俺もどこかに捨ててきた。強いて言うなら、殺し屋か?」 「殺し屋?」 「仕事だ。」 適当に、答える。 問われて初めて、自分が異質な存在であることを自覚させられたかのように、彼は昏く笑った。 仔兎は、そんな彼の笑みには微塵も関心を引かれた様子も無く続ける。 「――そう。狼かと思った。」 「狼?」 「僕を追いかけてくる人のこと。」 ゆるりと視線を動かして、子供は窓の外に視線を送る。 自分を追ってくる者の心配をしているというよりも、自分をちゃんと追っかけて来ているか確認しているような、そんな何かを探すような視線で。 自分は、なかなかワケ有りな兎を拾ったようだ、と。 その姿を見て、彼は何処かで底意地の悪い笑みを浮べたくなる衝動に駆られた。 自分は人間の波に紛れることに長けている獣であるということを自覚していただけに、人間ではなく『兎』というそれに言われた言葉が酷く可笑しい響きで彼の鼓膜を叩いた。 |
2008/007/07 再UP |